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雄ノ山峠を越えて紀ノ川平野へ(山口王子~力侍神社)
紀ノ川を背にして矢田峠越え(川端王子~伊太祁曽神社)

1.白鳥の伝説

昔、湯屋谷のあたりにぐうたらな男がいて、日がな一日、近くの野山をぶらついて過ごしていました。あるとき、羽を矢で射抜かれた白鳥を草むらで見つけた男は、その矢を抜いて手当をしてやりました。数日後の夕暮れ、一人の美しい娘がやってきて宿を乞い、やがて男の妻となりました。

ふたりは仲むつまじく暮らしていました。そのうち、男は狩りがしたいと思うようになります。しかし貧しさのために弓矢を買うことができません。

ある夜、男が女房の夢を見て目覚めると、女房の姿はなく、枕元には立派な弓矢が残されていました。しばらくして、狩りに飽きた男はその弓矢を捨ててしまいました。

すると、そこには一羽の白鳥がいるではありませんか。不思議に思って後を追い、捕らえてみたら、それは姿を消した恋女房。しかし喜んだのも束の間、女房は再び白鳥となり雄の山を目指して飛び去ったのでした。

9.和佐大八郎の墓

和佐大八郎の墓

江戸時代、弓の名手としてその名を知られた和佐大八郎は、和佐村(祢宜)の出身です。大八郎は貞享三年(1686)24歳のとき、京都・三十三間堂の「通し矢」に挑戦し、一昼夜に八千百三十三本という大記録を達成します。帰藩した大八郎は、昇進と人々の称賛に迎えられました。

しかし、晩年は弟の女性問題がもとで、田辺城下に幽閉され、やがて病により51歳の生涯を失意のうちに終えることになります。その大八郎の墓が、今も祢宜の山裾、共同墓地の一角に遺ります。