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紀の川市(粉河) |
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粉河寺
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粉河寺は宝亀元年(770)に大伴孔子古によって創建されました。国宝の「粉河寺縁起絵巻」は本尊千手観音像の由来と観音にまつわる霊験記が記されています。 粉河寺創設の伝説 また、河内の国にある長者がいました。その娘が気の毒なことに腫れ病にかかり、日本中の医者や祈祷士に治療をお願いしましたが、何の効果も無かったと言います。そこへ先の童男が訪れて「私が治してあげましょう」と言い、みんなを遠ざけて、一週間、お経を唱えたところ、きれいな元の姿に戻ったとのこと。喜んだ長者はお礼を差し上げたいと言いますが、童男は何も要求しません。それではとばかり、娘は自分が身につけていた真っ赤な袴と守り刀を渡したところ、童男は「紀州の粉河」と告げて去りました。 やがて冬が過ぎ、春が来て、長者はたくさんの家来を連れて遠路はるばる粉河へやってきます。迷いながらもこの辺りと思われる場所にたどり着くと祠があり、中には仏様があって、その側には娘が渡した真っ赤な袴と守り刀があったのです。驚いた長者はこれを機に頭を丸めて坊さんになり、粉河寺に深く帰依するようになったと伝えられます。 |
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長田観音
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延喜21年(921)、念仏上人により開創された寺。紀の川市別所にあり、真言宗に属し、如意山厄除観音寺と言います。本尊は如意輪観世音菩薩で、霊験高く、一般に「厄除観音」または「厄観音」と呼ばれています。春には桜の名所として知られており、大勢の花見客で賑わいます。 如意山厄除観音寺の寺号と御詠歌 これは寛平年間(889〜898)に宇多天皇が退位して仏門に入られたときに賜ったものと伝えられています。 寛文年間(1661〜1673)、紀州藩主徳川頼宣公が厄除祈願に参拝され「人家に近きは仏地によろしからず」と、自ら約1km南の現在地を選び、本堂を建立。順次、塔其他を建立して、永世厄除祈願寺とされました。 |
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