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由良町

[1]白崎万葉公園

 

大宝元年(701)、持統天皇一行が、白浜の牟婁の湯へ行幸の途中詠まれた歌、

白崎は 幸くありまて 大船に
    真舵しじぬき また帰り見む

が、歌碑として建てられています。また歌会始選者、岡野弘彦氏の平成の万葉歌、

海原は なぎしづまりて 白崎の
    神のいはほに あさひてりくる

の歌碑も建てられています。

[2]興国寺(こうこくじ)

 
興国寺法堂

臨済宗興国寺は、通称「開山」と呼ばれ親しまれています。開山とは心地覚心(のち法燈国師)のことで、寺宝として、国重要文化財、町文化財が多数あります。
興国寺は源実朝が暗殺された後、側臣頭だった葛山五郎景倫が出家し願性と名乗り、北条政子からもらった由良の地に、安貞元年(1227)真言宗「西方寺」を建立したのが始まりです。

願性は、高野山の金剛三昧院の雑掌職(寺務長)も兼務し、同寺に入って来た覚心と肝胆相照らす仲となり、覚心の入宋の援助をしました。
信州松本生まれの覚心は、金剛三昧院で退耕行勇禅師につき、その後、永平寺開山道元禅師や東福寺開山聖一国師などにつき、真言密教・禅の奥義を極めましたが納得できなかったといいます。そこで、建長元年(1247)、宋(中国)へ渡り、六年間修行し、杭州護国寺の無門恵開禅師から禅の印可をもらって帰国しました。

覚心は帰国後、金剛三昧院の首座となり、その後、第六世住職となりましたが、願性から請われて西方寺住職となり、臨済宗法燈派の本山として大いに栄えました。その勢力範囲は泉北から紀伊(特に熊野)、伊勢、志摩におよび、最盛期には143ケ寺にも及んだと言います。

後に、後村上天皇から「興国寺」号を、後醍醐天皇から法燈円明国師号を賜りました。
渡宋中に習って来たという金(径)山寺味噌・醤油、普化尺八(虚無僧)の元祖寺として有名です。
金(径)山寺味噌とは、大豆と大麦の麹に塩を加え、これに細かく刻んだ茄子、瓜などを入れ、密閉して熟成させたもので、その製造課程でできた上澄み液が今の「たまりしょうゆ」になったといわれています。

また、帰国の際虚無僧4人を伴い、全国に普化尺八を広めたことで、現在でも普化尺八を継ぐ者は必ず本寺で授戒することになっています

1.天狗祭

 
「天狗祭」成人の日、午後
(1月第2月曜日)
上州赤城山の天狗が一夜でお堂を建立してくれた伝説より、所作を取り入れた祭りです。

2.開山忌法要

 
開山忌法要

10月12日夕刻、宿忌。10月13日午前、半斎。(法燈国師の命日)

3.火祭り

 
「火祭り」8月15日、夜

県無形民俗文化財。松明踊、土俑(大松明)、灯籠焼が行われます。

4.花祭り

 
「花祭り」5月8日、午後

卯月八日と親しまれているご本尊、釈迦如来の生誕行事です。

5.大天狗

 
日本一の大天狗

長さ2.4m、幅2.7m。京都の人形師原松風氏と原将雄(現在の号は太楽)氏の合作です。