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日高町

[1]徳本上人(とくほんしょうにん)

 
徳本上人像
徳本上人絵伝

徳本上人は厳しい修行を行いながら南無阿弥陀仏を唱えて日本全国を行脚し、庶民の苦難を救った江戸時代の念仏行者で、上人の書かれた「徳本文字」、想像を絶する「荒修行」が特に有名です。信者は近畿、東海、北陸、信州、関東地方にも及び現在でも「徳本講」は引き継がれ、清貧の生き方は今なお人々に影響を与えています。
徳本上人の書かれた「南無阿弥陀仏」の文字は丸みをおび、終筆がはねあがり、縁起が良いといわれ、徳本文字と呼ばれています。

徳本上人は説法に和歌を取り入れたことでも知られています。晩年には小林一茶とも一緒に北陸地方を旅しており、上人を詠んだ句も14句あります。

  徳本の 腹を肥やせよ そばの花

これは一日の食事が少量のそばの粉であることを知り、驚いた気持ちを表したものだと言われています。
上人は宝暦8年(1758)、和歌山県日高町の農家に生まれました。4歳の秋、遊び友達の死に驚き嘆かれ、「友達は何処へいったのか、また会う事ができるのか」と母親に尋ねました。母親は「死んだ人にどうして会う事ができますか」と答えましたが、泣き叫ぶ姿を見るにしのびず「今の別離を嘆くよりは、一刻も早く阿弥陀仏に頼り、お念仏を唱えれば極楽浄土で会うことができます」と諭して教えました。この教えが幼子の心の奥底に刻み込まれ、いつとなくお念仏を唱えられるようになったと言われています。

27歳の時、御坊市湯川町の往生寺で得度の式を行い、「徳本」の名を頂いて出家します。最初に修行されたのは月照寺。1カ月間、食事は豆の粉一日一合。朝は2~3時に起きて礼拝し、日中は山を歩きながら、夜は堂内で、ずっと念仏を唱えました。この後、生涯を通して粗食だったと言われています。ちなみに睡眠時間は、16歳の頃からずっと2~3時間しかとらず、亡くなるまで横になって寝ることは無かったと言います。修行は月照寺前にある小山の中腹に位置する洞穴で行われていました。いまは整備されて大滝川森林公園になっていますが、洞穴は保存されており、見学もできます。
29歳の時、川辺町(現日高川町)でさらに苛酷な「五体投地の苦行」を開始。2月の寒さの中、真夜中に谷に入って水浴びをし、全身アカギレで血が吹き出し、「松の木の様だった」と伝えられています。
34歳の時、修行の旅に出ます。道中では干ばつに悩む村民から雨乞いを頼まれ、また害虫駆除の念仏も唱えたと言います。46歳の時、京都法然院で除髪し、あらためて捨世派(寺を持たず一生旅をして浄土宗を広める)となります。やがて徳本文字を編み出し、経を唱えた者に南無阿弥陀仏の書を授けました。それが日本全国にあり、その土地で石碑とされています。

名号碑は、上人が巡教された土地に多く建てられていますが、建立の狙いは、旅の交通安全、病魔退散、子育て、古戦場の慰霊等です。その数は和歌山県内におよそ百七十基、信濃(長野県)に二百基、武蔵(東京都・埼玉県)五十基、越中(富山県)三十基、その他常陸(茨城県)、下総(千葉県・東京都)、相模(神奈川県)等広く日本各地に分布しています。

[2]誕生院

 
徳本上人十念名号塔

徳本上人の生誕の地に建っており、敷地内には修行場の跡も見られます。七回忌にあたる文政7年(1824)に誕生庵という小さなお堂が建てられたのが始まりです。
文政10年(1827)には大阪や兵庫の信者の発起により名号塔(町指定文化財)を建立。塔内には上人の御舎利、御遺髪が奉納されています。彫刻は大阪松屋町の石工六兵衛の作。この地まで運び込むのには相当の苦労があったと思われ、信仰の深さが感じられます。
当時の庵主は大阪出身の上人の弟子、本岸上人であり、後日東都一行院に転住されました。
平成17年(2005)春、境内まで続く舗装路が完成予定。バスも乗り入れできますので、足腰の丈夫でない方も、安心して参拝できるようになります。

[3]上人と重倫(しげのり)の物語

 
ある日、江戸の松平出羽守(松江藩主)の屋敷で、女中たちが夕涼みしていました。そこへ紀州8代藩主徳川重倫が戯れに鉄砲を撃ち込み、一人を死なせたのです。重倫は幕府に訴えられ、明くる年に隠居にさせられます。さて、徳本上人が有田の須ヶ谷で修行している頃、重倫は熱病にかかったのですが、その原因を「徳本が領内で修行しているせいだ」と決めつけ、「連れてくるか、撃ち殺せ」と命じたと言います。上人のもとへやってきた家来は銃を撃つもののまったく当たらず、近づいて来た上人の姿を見てひれ伏したと言います。荒行で満身創痍の上人を見て涙する者もいたとか。家来に連れられ重倫と対面した上人は、自分の衣の袂を覗くように言いました。重倫が覗き込んだところ、そこには自分が手打ちにした女中や家来の亡霊があふれており、驚いて改心し、上人の信者になったと言います。