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日高川町(美山)

[1]上阿田木神社のお祭り

 
ヤツハチ

稚子の舞

上阿田木神社

上阿田木神社のお祭りは4月28日に宵宮、29日に本祭りが開催され、花祭りとも呼ばれています。和歌山県下でも少ない春祭りの一つで、「京より南にない祭り」と言われています。
祭りは宵宮の朝早く、日高の浜辺へ潮水と藻を取りに行くことから始まります。海山の幸七種(本祭は十三種)を供え、お神酒供えの式に続いて神楽を奉納します。この神楽が有名な「ヤツハチ」と「稚子の舞」です。

ヤツハチは、二人の稚子が箸(両口箸)を両手に持って、まずは箸を重ねて左と右へ三回まわり、前に合わせた箸を両手を広げ、また戻して回ります。次に、二人の稚子が左右の場所を入れ代わり、箸を左右の耳へあてて三回舞います。さらに、箸を左右の腰へあてて3回舞います。これを稚子の舞と交互に三回ずつ舞います。
稚子の舞は、緋のうちかけに猩猩冠をつけた稚子がと太鼓にあわせて、太刀方に向いて両手を前について座ってうつむいて、頭を激しくふりながら前に進みます。向かいにいる太刀方は白鞘の太刀を横にして、 両手で支え会釈して、これを受けます。次に稚子は上体を起こし、社人がうたう謡歌と笛・太鼓・鼓に合わせ、右袖と左袖をゆっくり胸の前に持ってきて、後ずさりにさがります。今は太刀方の着座が無く(明治後期に廃止)、替わって神官が笏を横にして両手で支え、舞いに対応しています。

獅子舞や屋台が無く、稚子の舞を獅子と言っていますが、かなり古い形式と思われます。また、ヤツハチと稚子は稚子車に乗って渡御に加わり、お旅所においても交互に一回ずつ奉納しますが、この行事は本祭も同様に行われます。
特に渡御は神社の宮幟1本を先頭に、10地域から寄り集まった字幟10本が続き、塩打ちが潮水を撒いて道筋を清め、甲冑武者とこじり持が先導し、御幣に続いて各役が供奉、80人ほどの行列になります。幟は縦長の旗が付いた約6mほどの青竹の先に、大中小の飾り花と、さらに小さな無数の花の付いた2mほどの先端部分をつなぎ合わせたもの。花は色紙で作られており、大きいものは直径1mになります。また、飾り花を作るときに出た切れ端などを利用して切り花(チリ)としたものを、竿頭に取り付けたカゴに入れておきます。

お旅所で天神式を行い、還御は「御帰楽」と称し、本社へ帰ってから本殿の式として一回ヤツハチ、稚子の舞を奉納します。その後、入相踊と笠破踊があり、一同が太鼓に合わせて「ヤアー、サアー、ヤアーア」と足を踏み鳴らすように踊るのですが、この時、幟を大地に突き立てるようにして踊るので、竿頭の切り花が舞い散って美しい風景が見られます。別名「花祭り」と呼ばれる所以であり、この祭り全体が県無形文化財に指定されています

上阿田木神社
由緒、沿革によると、延喜22年(922)、熊野権限の神託により寒川村大原へ、更に延長六年(928)、現在地に遷座したとのことです。元亀2年(1571)、寒川家第20代別当直景は氏子と協力して社殿を再建すると共に、将来に備えて境内に杉桧を植林しました。境内に見られる古木のほとんどは当時のもので、うっそうたる老杉の神域は、日本のふるさとを感じさせます。社殿は享保、寛政、大正と3回改装されています。以前は、日本でも珍しい木製の狛犬が鎮座していましたが、いまでは本殿に保管されています。