現在表示しているページ
ホーム > わかやま○旅 > わかやま鉄旅 > 駅鉄|わかやま鉄旅

鉄道の乗る・見る・撮るの楽しさ満載!

駅鉄おすすめポイント紹介

わかやまには貴重な駅がいっぱい!

JR阪和線 紀伊中ノ島駅

昭和7年1月に「中之島駅」として開業。その後「阪和中之島駅」を経て、昭和11年9月に「紀伊中ノ島駅」と改称。
1日あたりの乗降客数は590人(22年度)

ホームの屋根を支える鉄骨には、八幡製鉄所が操業開始当時に製造したレールが使用されています。これが日本の重工業・鉄鋼史の面から貴重な産業遺産として評価され、平成21年に産業遺産に認定されました。
かつては国鉄和歌山線が乗り入れており、国鉄阪和線との乗換駅としても重要な役割を果たしていました。
昭和49年に和歌山線の乗り入れが廃止されましたが、当時のホームは残されています。

JR紀勢本線 紀和駅(きわえき)
紀勢本線 紀和駅 現駅舎の写真1写真を拡大 紀勢本線 紀和駅 現ホームの写真2写真を拡大

明治31年5月、紀和鉄道の「和歌山駅(わかやまえき)」として開業。県都和歌山市の玄関駅として、島式2面3線のホームが作られていました。

しかしその後、南海鉄道(現在の南海電気鉄道)の大阪難波からの南下延伸により開業した和歌山市駅や、阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)の大阪天王寺から南下延伸した路線が紀勢西線に接続した東和歌山駅(現在の和歌山駅)へ人の流れが移り、和歌山市の中心駅としての役割を終えることになりました。

昭和43年2月には、県を代表する駅の名称である「和歌山駅」から、現駅名の「紀和駅(きわえき)」へ改称され、さらに、紀和駅から田井ノ瀬駅まで伸びていた和歌山線の路線が昭和49年10月に廃線となり、乗り入れ路線も紀勢本線だけとなりました。

昭和53年には、紀勢本線の新宮駅~和歌山駅間が電化されたことにより、非電化区間である和歌山市駅から紀和駅を経て白浜駅・新宮駅方面とを直通する列車が激減しました。

昭和59年10月に、紀和駅を含めた和歌山駅~和歌山市駅間が電化開業しましたが、昭和60年3月に島式ホームが廃止され、現在の単式ホームの1面1線となるとともに、急行「きのくに」が廃止され、紀和駅発着の優等列車は消滅、駅は無人化されました。

JR紀勢本線に属している紀和駅ですが、すべての列車が和歌山市駅~和歌山駅間の折り返し運転となり、和歌山駅を越えて紀勢本線に直通する列車はすべてなくなりました。

平成20年10月には、和歌山駅~和歌山市駅間の路線の高架化工事による駅舎建て替えにより高架駅となり、かつて鉄道唱歌(第5集「関西・参宮・南海篇」大和田建樹作詞)にも登場した「和歌山駅」としての面影を残していた大きな駅舎もなくなってしまいました。
現在の、1日あたりの乗降客数は134人(22年度)です。
無人駅の紀和駅は、駅舎内に切符販売機や乗車駅証明書発行機は設置されていませんが、ワンマン運転で発着する列車は、到着時にすべてのドアが開閉される珍しい駅です。

また、現駅名の「紀和」は地元に存在しない地名や旧国名であり、和歌山の旧国名である「紀伊」と現県名である「和歌山」の合成語であるとか、鉄道ファンの間では、開業当時の鉄道会社名である「紀和鉄道」から取ったとも言われていますが、正確な理由は、今となっては謎となってしまっている不思議な駅です。

JR紀勢本線 箕島駅

大正13年2月に、国鉄紀勢西線の終着駅として開業。これにより、和歌山県の北部にある和歌山駅(現在の紀和駅)から、県中部にある箕島駅まで鉄路が結ばれ、和歌山県の南北を結ぶ鉄道輸送が開始されました。現在、1日あたりの乗降客数は3,572人(22年度)

蜜柑の産地有田市にあり、かつて蜜柑輸送を担っていた貨物列車の引き込み線は、駐車場や駐輪場に変わってしまいましたが、初夏には、駅の背後の山々から、駅構内だけではなく停車した列車の中まで、蜜柑の花の香りがただよってきます。
地元の音楽家による、郷土の観光名所や名産品を織り込んだ歌「箕島駅」が、1日に数回待合室で流されています。

JR紀勢本線 周参見駅(すさみえき)

昭和11年10月に開業。「すさみ町民コミュニティープラザ」と一緒になった現在の駅舎は、駅舎内ですさみ町を紹介する展示が行われているほか、1番線ホーム側の駅舎の壁には、すさみの澄み切った美しい海や、その海を利用した様々なマリンレジャーが描かれています。
暖かい南紀地方にあるすさみ町では、1番ホームに設置される地元すさみ町の独立国家である「イノブータン王国」のイノブタたちが描かれた温度計が、2月1日から2月28日までの間に、摂氏1℃を下回った場合には、対象ホテル等での前泊者に対して、次回からの宿泊料金が半額になる割引利用券が贈られるキャンペーンが行われています。
また周参見駅は、すさみ町が舞台となったテレビアニメ・恋愛シミュレーションゲームの「Myself;Yourself」(マイセルフ;ユアセルフ)で、主人公が5年ぶりに戻ってくるふるさとの玄関駅「桜乃杜駅」として描かれています。

JR紀勢本線 串本駅

昭和11年12月に開業。1日あたりの乗降客数は810人(22年度)
本州最南端の駅(北緯33度28分、東経135度46分)で、駅前には、「本州最南端の串本駅」と書かれた碑が建っています。
新宮駅や紀伊田辺駅から来る一部の列車が、ここで折り返し運転を行っており、ちょっとしたターミナル駅の雰囲気も漂います。

JR紀勢本線 紀伊姫駅(きいひめえき)

昭和11年12月開業。コンクリートブロックの壁の上にトタンの屋根を乗せたという至ってシンプルな駅舎です。駅舎内のベンチには、駅ノートが置かれています。 単式ホームの1面1線しかないので、新宮駅方面へ向かう列車も、紀伊田辺駅方面へ向かう列車も、すべて同じホームから発着します。

駅から少し歩いたところには、国の名勝に指定されている「橋杭岩」や、橋杭岩の建設を天の邪鬼と競ったといわれている弘法大師が、難病で苦しんでいる村人にこの湯の存在を教え、人々を救ったという伝説が残されている温泉(弘法の湯)があります。

1日あたりの乗降客数が9人(22年度)しかなく、和歌山県内で最も乗降客数が少ない駅です。

JR紀勢本線 那智駅

大正元年12月に開業。かつては寝台特急「紀伊」も停車しました。現在は無人駅となり、1日あたりの乗降客数も148人(22年度)ですが、今なお熊野那智大社や那智の滝といった那智地方の観光の玄関口です。
駅舎は、熊野那智大社を模した荘厳な作りで、昭和11年に竣工された社殿風の駅舎です。すぐ隣にはJR西日本初の「駅舎の温泉」としてオープンした、町営公衆浴場「丹敷の湯」や那智地方の世界遺産を紹介した「熊野那智 世界遺産情報センター」があります。

JR和歌山線 高野口駅

明治34年3月に「名倉駅」として開業。明治36年1月に現駅名に改称。1日あたりの乗降客数は1,788人(22年度)
駅構内の広さと、大きな木造駅舎が、かつての賑わいを彷彿させます。
ホームの端には、「鐵道院」「明治45年・・・」と書かれた跨線橋の柱が残っています。

南海鋼索高野線 高野山駅

昭和5年6月に開業。1日あたりの乗降客数は2,193人(22年度)隣駅である南海高野線極楽橋駅から0.8kmの間に、高低差330メートルをケーブルカーが一気に上って来ます。
昭和初期の豪華さと格式を誇る一見寺院風の装いのある木造駅舎です。高野山観光のまさに玄関口です。

南海高野線 極楽橋駅

昭和4年2月に開業。1日あたりの乗降客数は42人(22年度)
ケーブルカーと南海高野線との乗換駅で、ほとんどの人が乗り換えますが、駅の近くを流れる不動谷川をまたぐ朱塗りの極楽橋が人気です。この橋の名称が、駅の名称になっています。

南海高野線 紀伊神谷駅

昭和3年6月に「神谷駅」として開業。昭和5年3月に現駅名に改称。1日あたりの乗降客数は19人(22年度)
鬱蒼とした林の中にあり、周囲にまったく人家のない秘境駅ですが、駅員が勤務している有人駅です。

南海高野線 下古沢駅

昭和3年6月に開業。1日あたりの乗降客数は116人(22年度)
かつては2面2線で運行されていましたが、現在は1面1線駅となり、不用となったホームを利用してのこうや花鉄道、最初の「花の駅」で、地元と連携したきれいな花壇が魅力です。

南海高野線 九度山駅

大正13年12月に開業。1日あたりの乗降客数は771人(22年度)
真田幸村ゆかりの「真田庵」最寄駅、真田十勇士イラスト付の真田花壇があります。
南海高野線は、九度山駅を越えると、急勾配が始まり、登山鉄道の雰囲気が充満して来ます。

和歌山電鐵 貴志駅

昭和8年8月に開業。1日あたりの乗降客数は1,342人(22年度)
無人駅ですが、三毛猫の「たま」が和歌山電鐵常務執行役員・スーパー駅長を勤めており、駅長室にて執務しております。なお、たまスーパー駅長は、日曜日はお休みですし、勤務時間にご注意ください。
スーパー駅長「たま」の顔を彷彿とさせるかわいい駅舎では、「たまカフェ」が営業しており、地元特産の果物を使ったジュースなどが味わえます。
駅前には駐車場がありませんので、101匹の「たま」が飛んだり、跳ねたりしている「たま電車」や、「いちご電車」「おもちゃ電車」などのユニークな電車で訪ねてください。