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鉄道の乗る・見る・撮るの楽しさ満載!

ほか鉄おすすめポイント紹介

わかやまにはまだまだ「鉄道ネタ」がいっぱい!

がんばるローカル線

和歌山電鐵貴志川線
廃止が検討されていた南海電鉄貴志川線を引き継ぎ、既に超有名になったネコのスーパー駅長「たま」や、九州新幹線「つばめ」の内装も手がけたデザイナー、水戸岡鋭治氏デザインによる「いちご電車」「おもちゃ電車」「たま電車」といったユニークな電車など、独自のアイデアで全国から注目を集めるローカル線です。
平成22年の夏には、貴志駅が「たまミュージアム貴志駅」としてリニューアルされ、駅舎内の「たまカフェ」では地元産の果物を使ったジュースなども味わうことができます。
なお、貴志駅には駐車場がありませんので、是非、電車に乗ってお越し下さい。たま駅長の「勤務日」や「いちご電車」「おもちゃ電車」「たま電車」等のユニークな電車の時刻表は和歌山電鐵のホームページをご覧下さい。

和歌山の鉄道名所

有田川鉄道公園(有田川町鉄道交流館)
平成22年3月にオープンした新しい施設です。
平成14年に廃止された旧有田鉄道金屋口駅と線路を利用し、キハ58や紀州鉄道キハ605(車両鉄のページで紹介しています。)、蒸気機関車D51などが保存・展示されています。

園内にある有田川町鉄道交流館では、有田川町内の自然や建物を再現したジオラマと旧有田鉄道の沿線を再現した鉄道模型をご覧いただけます。ジオラマのリアルさと鉄道模型の懐かしさに思わず時間を忘れて見入ってしまいます。また、ジオラマの中を走る鉄道模型の体験運転や、自分の鉄道模型を持ち込んで走らせることもできます。開館時間など詳しくは有田川鉄道公園のホームページをご覧下さい。

南海本線紀ノ川橋梁(和歌山市駅~紀ノ川駅)

明治36年に架けられた鉄橋です。橋脚は、レンガ調の石造りになっています。

高野山森林軌道跡

明治42年に全線開通し、昭和34年に廃線になるまで、高野営林署が木材輸送に使っていた線路の廃線跡があります。南海高野線九度山駅~極楽橋駅に沿って走っているので、廃線跡巡りにぴったりです。途中の下古沢・紀伊細川間はほとんど通行不能区間なので、国道を迂回してください。

南海電気鉄道

明治16年6月16日に設立された大阪堺間鉄道を前身とする、日本最古の私鉄です。
部分開通を経て、南海難波駅から南海和歌山市駅間の全線での運行を行ったのは、明治36年3月21日です。

旧国鉄車両の引退の地

キハ81系ディーゼルカー、キハ82系ディーゼルカー、165系電車の引退の地は、いずれも紀勢本線です。

かつて和歌山にあった鉄路~野上電気鉄道~

沿線の特産品である「たわし」などを、港まで運ぶために、大正2年8月に「野上軽便鉄道」として設立。 大正5年2月4日に、日方(ひかた)駅から野上(のかみ)駅までの8.8kmが開業されました。

昭和3年3月には、生石口(おいしぐち)駅(その後、昭和33年6月に「登山口(とざんぐち)駅」と改称)まで延伸され、営業キロ数は11.4kmまで延び、物流の主役としてだけではなく、沿線にある高校へ通う学生や工場等へ向かう通勤者の貴重な交通手段として、その役割を果たしました。

しかし、並行する道路の整備が進んだり、物流がトラック輸送に取って代わられるようになり、最終延伸地であった高野山まで線路は伸びることなく、平成6年4月に廃線となりました。
廃線跡の一部は、自転車道や公園となっており、在りし日の面影をしのぶことができます。

紀美野町の「くすのき公園」内には、モハ30形車両が保存されています。

かつて和歌山にあった鉄路~有田鉄道~

大正4年5月に、有田地方の特産品である「有田みかん」や木材などを、積出港がある湯浅町まで運ぶために、湯浅町の海岸駅から有田川町(旧吉備町)下津野駅間(6.2㎞)が開業。さらに、大正5年7月には、下津野駅から金屋口駅までの2.9㎞を延伸し、総延長9.1㎞で営業運行がされました。

その後国鉄紀勢西線(現在のJR紀勢本線)が、大正15年8月に箕島駅から紀伊宮原駅を経由して藤並駅まで南進したことにより、有田鉄道においても、新たに有田鉄道藤並駅を新設のうえ、紀勢西線への乗り入れができるように改良しました。このため藤並駅からは、紀勢西線を利用しての貨物輸送により、地元特産品のみかん等が運搬されるようになりました。

その後、紀勢西線との並行路線であった海岸駅~藤並駅間は、第2次世界大戦中の金属資源不足を補うための金属回収令により「不要不急路線」として線路が撤去され、営業区間は、藤並駅~金屋口駅間となりました。

沿線の高校等へ通学する学生などで朝夕を中心に多くの乗客が利用していましたが、みかんなどの運搬が貨物輸送からトラック輸送に置き換わるとともに、紀勢本線への乗り入れが廃止されたことにより、利用者の中心であった高校生の利用が路線バスに移っていきました。平成13年11月には運転本数が1日2往復となり、鉄道ファンの間では「私鉄で運行本数が最も少ない路線」として有名にはなりましたが、不便さがさらに利用者を減らすという悪循環のもと、平成14年12月に廃線となりました。

廃線後、線路の一部は遊歩道になったり、旧金屋口駅構内や線路の一部を利用し、旧車両等を保存展示している「有田川町鉄道公園」(ほか鉄ページの3番めで紹介しています。)として生まれ変わっています。

尚、役目を終えた有田鉄道の機関車は、さまざまな旅を経て、現在は、東京都板橋区にある城北交通公園に保存されています。

日本初の冷房車

昭和11年に南海鉄道(現:南海電気鉄道)が、試験的に列車へ冷房装置を装着。翌年の昭和12年に日本初の冷房車となる2001形、2801形を運転しました。登場時には、珍しさから乗客が集中し、非冷房の車両より暑かったというエピソードが残っています。

第三セクターと電化率

和歌山県には旧国鉄の分割民営化に伴う第三セクター鉄道がありません。また、旧国鉄路線(JR西日本の線区)は、電化率100%となっていて、どちらも地方では珍しいケースです。

戦前の日本最速列車は阪和線

阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)では、モヨ100型と呼ばれる高性能電車が投入され、天王寺駅~東和歌山駅(現在の和歌山駅)間61.3㎞をノンストップ45分(表定速度81.6㎞/時)で結ぶ、当時では日本最速の電車が走っていました。

架線いろいろ

JR紀勢本線(※写真上)では、振り子式車両(381、283系)に対応した架線が、JR和歌山線(※写真下)では路面電車に近い架線が採用されており、どちらも国内で数例しかありません。

JR和歌山駅の隣の駅はすべて無人駅

県庁所在地の中心駅であるJR和歌山駅からは、路線が放射状に5方向に延びています。 隣駅として、JR紀勢本線の紀和駅宮前駅、JR阪和線の紀伊中ノ島駅、JR和歌山線の田井ノ瀬駅、和歌山電鐵貴志川線の田中口駅の5つの駅がありますが、これら5駅は、すべて無人駅です。
県庁所在地の中心駅の隣りの駅がすべて無人駅で、しかも5駅もの無人駅に囲まれているのはJR和歌山駅だけです。

(本文中の駅名をクリックすると駅の写真がご覧になれます。)

電車が見える露天風呂

JR白浜駅のすぐ横には民宿があり、バルコニーに造られた露天風呂では、電車を眺めながらゆっくりお風呂に入ることができます。

いくつ読めるかな?難読駅名
駅名がわかる写真

漢字をクリックすると答えが表示されます。

千旦布施屋中飯降隅田冷水浦印南南部芳養朝来
紀伊日置見老津周参見六十谷学文路

薩摩守(さつまのかみ)

鉄道の隠語に「薩摩守」というのがあります。 薩摩守(さつまのかみ)とは、律令制時代の行政官の職で、現在の鹿児島県の西部地方を治めていた国司の長官のことです。

そんな薩摩守の一人に、「平 忠度(たいらの ただのり)」という人物がいました。 平 忠度(たいらの ただのり)は、平安時代の平家一門の武将で、天養元年(1144年)に平忠盛の六男(平清盛の弟)として和歌山県の熊野地域で生まれ、育ち、『千載和歌集』や『新勅撰和歌集』にも歌が掲載されているなど、歌人としても優れた人物です。 治承4年(1180年)には正四位下薩摩守となりましたが、元暦元年(1184年)にわずか41歳の若さで亡くなっています。

和歌山が生んだ「平 忠度(たいらの ただのり)」の名前の「忠度(ただのり)」が、運賃を支払わずに列車に乗車することを意味する「ただ乗り」に通じることから、忠度の官職名である「薩摩守(さつまのかみ)」は、列車への「無賃乗車(ただ乗り)」を意味する隠語として使われています。

無賃乗車(ただ乗り)はもちろん犯罪ですが、現存する最古の天正狂言本に掲載されている『薩摩守』の中でも、列車ではありませんが、僧が渡し船の代金を踏み倒そうとする場面(ただ乗りしようとする場面)が描かれているなど、「薩摩守と言えばただ乗り」と言うのは、歴史のある隠語です。