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真田ヒストリー

真田幸村の生涯

百戦錬磨の武将たちを相手に、鮮やかな戦いを繰り広げる幸村の戦略。
覇者・家康をも恐れさせた強さの秘密とはいかに!?
今も語り継がれる幸村の生涯に迫る。

真田昌幸
動乱の世を駆け巡り、小国であった真田家を戦国大名に躍進させた知略の将。徳川家康が最も恐れていた男と伝えられています。

真田昌幸画像
真田昌幸画像(上田市立博物館蔵)

真田幸村(信繁)
父・昌幸と共に「日本一の兵(ひのもといちのつわもの」と名を挙げた勇敢なる戦国武将。生涯で最も長い時間を九度山で過ごしました。

真田幸村画像
真田幸村画像(上田市立博物館蔵)

真田幸村の生涯

幼少時代

永禄10年
(1567)
真田昌幸の次男として生まれる
天正3年
(1575)
長篠の合戦、武田勝頼が織田・徳川軍に敗れる。真田信綱・昌輝の戦死後、昌幸が家督を継ぐ。
天正10年
(1582)
勝頼が自害し、武田氏滅亡。昌幸、北条氏、その後徳川家康に属する。
天正11年
(1583)
上田城築城

人質時代

天正13年
(1585)
昌幸が上杉景勝に属し、幸村は上杉氏の人質として、海津城、春日山城に赴く。
第一次上田合戦で徳川・北条軍と戦い勝利。その後、羽柴(後の豊臣)秀吉の人質として大坂に送られる。

戦国の舞台へ

天正18年
(1590)
小田原の役に参陣

九度山雌伏の時代

慶長5年
(1600)
犬伏の別れ
兄の信幸と別れ、昌幸と西軍に味方する。
上田城で徳川秀忠を止めるも、関ヶ原の戦いで西軍が敗れたことにより、昌幸とともに高野山に蟄居を命ぜられる。
慶長7年
(1602)
長男・大助(後の幸昌)が生まれる。母は大谷吉継の娘。
慶長16年
(1611)
昌幸、没す。享年65歳。

大坂冬の陣

慶長19年
(1614)
九度山を脱出し、大坂城入城。
大坂冬の陣で真田丸を築き、徳川方に大打撃を与える。

大坂夏の陣

慶長20年
(1615)
大坂夏の陣が起こる。家康の本陣に突撃するも討死。享年49歳
同じく大坂夏の陣に参戦した大助は、大坂城落城で自害した淀君と豊臣秀頼に殉じた。

日本一の兵 ひのもといちのつわもの

何倍もの兵力を持つ敵軍と互角以上に渡り合った戦いぶりは、全国に幸村の名を広めた。
薩摩の島津家久はこう書き残し、幸村をたたえている。

「真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由、徳川方、半分敗北。惣別これのみ申す事に候」

真田家の家紋「六文銭」 大坂夏の陣図屏風右隻には赤備えの真田軍が描かれている(大阪城天守閣蔵) 大坂夏の陣で幸村が使用したといわれる槍先(真田宝物資料館蔵) 足具、旗差物などを朱塗りにした「赤備え」は幸村の代名詞。戦場で最も目立つ赤は甲斐武田軍であり、精鋭部隊の証として、隊の結束と武勇を示していた