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和歌山県街道マップ

高野めぐり 高野山町石道・高野三山・女人道

 高野山町石道とは、高野山麓の慈尊院から大門を経て奥の院へ至る約24kmの参道です。高野七口といわれる七本の参詣道のうち、町石の林立するこの道は、皇族や武士達が威儀を正して上った表参道でありました。一般庶民が登ったのは不動坂のある不動口で茶屋や旅籠も多く賑やかであったようです。慈尊院は弘法大師(空海)の母君が晩年ここに移り住み、高野山へ登れないために、大師自ら逢いに訪れたところです。ために女人高野ともいわれましたが、その後、高野山の寺領支配や諸国からの年貢を集めるために高野政所が置かれ、また皇族や貴族の休憩所・宿泊所となり、高野山の玄関口としての役割りを果たしました。母君の墓所の弥勒堂(国重文)に安置されている弥勒菩薩坐像は、高野山創建当時の寛平五年(893)の銘があり、国宝に指定されています。
 166町石を過ぎたあたりの展望台からは、紀ノ川平野の眺めがひろがり、東には奈良・三重県境の高見山(標高1248m)、東南には高野の山並みが望まれます。雨引山との分岐点から六本杉峠(天野峠)に至り、まっすぐに下ると楼門、本殿が国重文指定の丹生都比売神社に着きます。地主神である丹生都比売明神と弘法大師を高野山に導いた狩場明神(高野明神)をお祀りしています。矢立から大門への道は酷しい山坂となりますが、それだけに自ら歩いた充足感と高野山の霊域に踏み入った深い感動に身も心も洗われることでしょう。

熊野古道 紀伊路 山中渓~湯浅

 大阪の天王寺を起点とするJR阪和線は、さしずめ現代の熊野みちといえます。同線の山中渓駅付近は宿場であった古い家並みが今に古道のおもかげを残しています。和泉の国と紀伊の国の国境である境橋を渡り、紀伊の国最初の難所「雄の山峠」にかかる所に、和歌山県に入って最初の中山王子があります。峠を越すと紀ノ川平野の大展望がひらけ、南国紀州に入ったことを実感します。
 紀ノ川を渡り、矢田峠、汐見峠を越えると、祓戸王子から藤代五躰王子(現在の藤白神社)に至ります。ここは熊野一の鳥居、熊野の入り口です。藤原定家が建仁元年(1201)に後鳥羽上皇のお供をした時の『熊野御幸記』に「攀じ登る」と書いた藤白峠、拝の峠、糸我峠の厳しい峠を越えて湯浅へと向かいます。けわしい山坂の連続を乗り越えて無事に熊野三山への参詣を果たすよう、上皇・法皇が延べ100回にわたる熊野御幸の際には必ず藤代王子に宿泊をして道中の安全を祈願し、さまざまな法楽を催していました。当時、厩戸王子のある信達の宿を出発し、藤代まで1日、藤代から湯浅まで1日の行程でした。

熊野古道 紀伊路 湯浅~紀伊田辺

 田辺市の潮垢離浜で身を清め、出立王子に参り、心新たに中辺路の山中へとわけいります。ここ田辺市は大辺路の分岐点でもあります。三栖王子から西行法師ゆかりの八上王子を経て、藤原定家の『熊野御幸記』に準五躰王子と記されている稲葉根王子からは岩田川(現・富田川)に沿って上流の滝尻王子へと向かいます。この川を歩いて渡ることが禊ぎであり、藤原宗忠は19回も渡河を重ねています。『平家物語』の平重盛等のエピソードや『義経記』にも記述があり、重要な垢離の川でありました。後鳥羽上皇の室、修明門院が承元4年(1210)の御幸の時、前夜からの大風雨をおして無理に渡河し、9人も溺死するという史実は、まさに難行苦行の苛酷さを物語っています。国道311号の北郡トンネル入口付近から左の山上に登る道が熊野古道ですが、清姫茶屋から真砂の里の対岸の辺りにも熊野古道があったと推定されます。
 一方三栖王子の手前から真東に向かい、長尾坂を登り、槇山の山腹を縫って、潮見峠を経て、中辺路町栗栖川に至る道が「潮見峠越」です。1日も早く熊野の湯につかり、三山にお参りしたいという一般庶民が歩いた近世の熊野街道です。熊野への最短コースでありました。

熊野古道 中辺路 紀伊田辺~滝尻王子・潮見峠

 滝尻王子は熊野御山の神域のはじまりです。ここからの急坂の途中には藤原秀衡ゆかりの「乳岩」や「胎内くぐり」があり、これらは熊野の神々(自然)の霊力を語るものとして、信仰の山の象徴といえます。高原の里からは山中深く分け入り、三体月の観賞地からは大坂本王子へと下り、熊野古道のシンボルである箸折峠の牛馬童子の石像へと続きます。近露の里を眺めながら坂を下り、四万十川に勝るとも劣らない日置川を渡ると近露王子に到着です。温泉もあり、ここで一泊して本宮へと向かうのが一般的です。ここから野中の一方杉や清水のある継桜王子、小広峠から草鞋峠の女坂、岩神峠への男坂、せせらぎの音に身も心も洗われる湯川王子のある道湯川の集落跡から一越、二越、三越して三越峠へ至ります。ここは西牟婁と東牟婁の郡境で、いよいよ奥熊野へと入ります。発心門王子・水呑王子と進み、和泉式部ゆかりの伏拝王子では熊野本宮大社旧社地、大斎原が望まれ、思わず伏し拝みたくなる風景が広がります。
 赤木越えは船玉神社付近から湯の峰温泉へ、大日越えは湯の峰温泉と熊野本宮大社を結ぶ古道です。

熊野古道 中辺路 滝尻王子~熊野本宮大社 赤木越・大日越

 滝尻王子は熊野御山の神域のはじまりです。ここからの急坂の途中には藤原秀衡ゆかりの「乳岩」や「胎内くぐり」があり、これらは熊野の神々(自然)の霊力を語るものとして、信仰の山の象徴といえます。高原の里からは山中深く分け入り、三体月の観賞地からは大坂本王子へと下り、熊野古道のシンボルである箸折峠の牛馬童子の石像へと続きます。近露の里を眺めながら坂を下り、四万十川に勝るとも劣らない日置川を渡ると近露王子に到着です。温泉もあり、ここで一泊して本宮へと向かうのが一般的です。ここから野中の一方杉や清水のある継桜王子、小広峠から草鞋峠の女坂、岩神峠への男坂、せせらぎの音に身も心も洗われる湯川王子のある道湯川の集落跡から一越、二越、三越して三越峠へ至ります。ここは西牟婁と東牟婁の郡境で、いよいよ奥熊野へと入ります。発心門王子・水呑王子と進み、和泉式部ゆかりの伏拝王子では熊野本宮大社旧社地、大斎原が望まれ、思わず伏し拝みたくなる風景が広がります。
 赤木越えは船玉神社付近から湯の峰温泉へ、大日越えは湯の峰温泉と熊野本宮大社を結ぶ古道です。

熊野古道 熊野速玉大社~熊野那智大社 大雲取越・小雲取越

 古くは熊野本宮から新宮(熊野速玉大社)へは、熊野川を舟で下りました。神倉山の磐座(神の座)であるゴトビキ岩に降臨した熊野権現が、後に熊野速玉大社に移られたため新宮と呼ばれます。毎年2月6日のお灯まつりが有名です。新宮からは浜王子で王子ヶ浜の海岸に出て、高野坂の絶景を賞でながら浜の宮王子・補陀洛渡海で有名な補陀洛山寺へと向かいます。熊野古道はここから那智川に沿って那智山へと進み、途中大杉群の中にある大門坂を登りつめると熊野那智大社、青岸渡寺への参道です。那智のお滝も一望の下にあります。
 青岸渡寺の裏手の長大な石段が大雲取越への古道です。途中から妙法山への道と分かれます。那智山から再び本宮へと戻るこのコースは酷しい山坂の連続であり、亡者の霊魂が辿ったという「死出の山路」から「亡者の出会い」への道は、うっそうとして、幽妖な雰囲気が漂っています。南方熊楠が「ダル」にとりつかれたというのもうなづけます。大雲取は文字通り、雲をつかむような熊野路随一の難所、舟見峠で熊野灘の眺望を楽しむ余裕もなく、越前峠に達します。小雲取越えには「賽の河原」もあり、熊野が「隠国」、つまり霊魂の籠もる地であることを実感します。しかし生きながら難行苦行してこの「黄泉の国」で生まれ変わって「甦り」(黄泉の国からかえる事)、感謝の日々を過ごせること請け合いの請川で大雲取・小雲取越の旅は終わりを迎えます。

熊野古道 大辺路

 原点が熊野詣でにあるといわれる「四国遍路(辺路)」について『今昔物語』には「海辺ノ廻也」とあるところから、大辺路は海辺を巡る行者の道として古くからひらけていたと考えられます。神武東征神話、万葉故地、王子跡がそれをうかがわせています。
 現在の大辺路は、平坦地はほとんど国道や旧道に吸収され、古道は峠越えに残存していて、連続したコースはとり難くなっています。しかし、自然林に囲まれた尾根道、石畳道が続き太平洋を望む雄大な景観は、近世の文人墨客が賞で、数々の紀行文を残した風光明媚な地であり、紀伊路、中辺路とは趣の異なる魅力があります。
 草堂寺(串本の無量寺とともに長沢蘆雪や丸山応挙の画を所蔵する寺として有名)から始まり、日置川の清流に終わる富田坂、いにしえの石畳道を踏みしめての仏坂、王子神社から大辺路第一の美景ともいえる枯木灘を眺め、段築という歴史的遺産のある長井坂、無量寺を経て鬮野川から入り、熊野灘沿いに古座町をめざす鬮野川コース、浦神から数々の峠を越え、石仏、地蔵を見ながら那智へと進むコース、いずれも熊野の眩いばかりの大海原の景観を満喫し、歴史的な文化遺産に触れる道、すなわち触る道であり、古る道といえます。

熊野古道 小辺路

 真言密教の霊峰・高野山から熊野に至るコースです。高野山の門前町の中心部にある金剛三昧院の参道の途中から山中へとわけ入ります。途中から高野龍神スカイラインと合流しますので、水ヶ峰入口までは車に注意しながら歩いてください。
 野迫川村総合案内所から再び参詣道に入り、野迫川村の大股まで下り、そこからが小辺路ルートの最高地点、伯母子峠越えとなりますが、長距離で、アクセスも悪く、通して歩くのは難しいため、詳細は省略しています。伯母子峠越えは十津川村の三浦口まで、そこからは三浦峠越えとなりますが、ここでは、十津川温泉からの果無峠越えコースを案内します。
 石畳の道を通って果無の集落に入り、道沿いに点在する三十三ヶ所の観音石仏に励まされながら標高1114mの果無峠を越えます。このような山中奥深くまで石畳道を造った先人の苦労が偲ばれ、今に生きる大切な歴史遺産であることを実感します。
 なにごとの おはしますをば 知らねども かたじけなさの 涙こぼるる
 西行法師ならずとも、熊野の神々、自然に触れ、目的地に到達した時には、無欲無心の境地に達している自分を見いだすことでしょう。