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熊野本宮大社の聖域を歩く
発心門王子~大斎原

25.和泉式部(いずみしきぶ)と熊野権現(くまのごんげん)

熊野本宮大社旧社地大斎原をはるかに望む伏拝王子には、平安時代の女流歌人・和泉式部が熊野詣に訪れたという伝説があります。式部は都から十数日目にしてようやく伏拝王子近くにたどり着きました。ところが、本宮大社まであともう少しというとき、月のしるし(月経)があらわれます。そのとき式部は歌を詠みました。

晴れやらぬ 身の浮き雲の かさなりて(棚ひきて) 月のさはりとなるぞくるしき(悲しき)

遠い昔、神社参拝に血の穢れは禁物とされていました。式部も月のしるしがあらわれた身では参詣できないという嘆きを歌に託し、ここから熊野本宮大社を伏して拝んだのです。するとその夜、熊野権現が夢の中に現れ、式部に歌を返しました。

もろともに 塵にまじはる神なれば 月のさはりも何かくるしき

和光同塵の神であるから遠慮せず参詣するように、とのお告げです。こうして式部は晴れ晴れとした気持ちで、無事に参詣を果たすことができたのでした。伏拝王子と熊野本宮大社の境内には、和泉式部の供養塔と伝わる笠塔婆が立っています。

27.熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)

(国史跡)

山や木、水などに対する自然崇拝が起源と考えられる神社で、明治22年(1889)の大水害に罹災するまでは、熊野川、音無川、岩田川が合流する中洲、大斎原に鎮座していました。
熊野本宮大社は本来の自然崇拝に加え、奈良時代に大峯山岳修験、平安時代以降は密教の影響、浄土信仰などの高まりとともに神仏習合の聖地として栄え、熊野速玉大社、熊野那智大社とあわせた霊場、熊野三山を形成しました。

現在は大斎原から500m上流の高台に、水害で流出を免れた社殿三棟を移築し、向かって左から第一殿(那智の神)、第二殿(新宮の神)、第三殿(本宮の神)、第四殿(伊勢神宮の神)を祀っており、第五殿から第十二殿までの神々は大斎原に今も鎮座しています。

28.熊野権現とイチイガシ

ある日のこと、猟師が山の奥で大きな猪を射止めました。射抜かれた猪は血を流しながら逃げたので、猟師も後を追いました。大斎原まで来ると、猪は一位の木の下で力尽きてぐったりと倒れています。猟師はその場で猪の肉を食べ、満腹になったので木の下で眠りこけてしまいました。

やがて夜になり、目覚めた猟師がふと宙を見上げると、木の枝の先に掛かっているのは三体の月。何事かと驚いた猟師は月に問いかけます。「なぜここに掛かっているのだ」。
すると月は「われは熊野三所権現なり。一枚の月は証誠大菩薩、他の二枚は両所権現なり」と、答えたということです。以来、大斎原には熊野権現が祀られ、のちに熊野本宮大社となりました。