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日本書紀古事記わかやま記紀の旅 ~古事記・日本書紀からたどる和歌山の旅~
宮原神社(みやはらじんじゃ)

鎮座地(住所)
有田市宮原町道359
祭神(主祭神)
気長足姫尊
誉田別尊
多紀理姫命
多岐都姫命
市杵島姫命
TEL
0737-88-2708
詳細

記紀との関連

古事記
【応神天皇】『木之荒田郎女(きのあらたいらつめ)』の名がある。荒田=有田郡の村名であるが、一説には宮原荘(現有田市宮原町)周辺とも考えられる。
日本書紀
【応神2年】『荒田皇女』の名がある。荒田=有田郡の村名であるが、一説には宮原荘(現有田市宮原町)周辺とも考えられる。

記紀にまつわる物語

十五代天皇・応神天皇と仲姫命の娘の名前は、『古事記』では「木之荒田郎女」、『日本書紀』では荒田皇女である。「荒田」は有田郡の村名であるが、一説には現在の有田市宮原町周辺であるとも考えられている。

なお、当社の祭神である誉田別尊は応神天皇、気長足姫尊は応神天皇の母・神功皇后である。

みどころ

【太刀宮(タチノミヤ)(末社)

 現在の有田市野にあった宮崎城の城主の三男・定直(サダナオ)は、剣術の達人として、広く知れ渡っていた。腕を見込まれた定直は、真田幸村に大阪城へと招かれ、"大阪冬の陣(1614)"で豊臣方として奮戦。
 しかし、豊臣方が敗れたため、故郷の姉を頼り、宮原をめざす。故郷が間近となり安心してしまった定直は、熊野街道の蕪坂(カブラサカ)にあった道祖神社(ドウソジンジャ)の前で眠り込んでしまう。敵勢に囲まれた彼の命を救ったのは、腰に差していた太刀だった。するりと鞘(サヤ)から抜き出て敵を追い回した太刀は真っ二つに折れており、これを神社に奉納したことから、人々が「太刀宮」と呼ぶようになったのである。
 お礼参りに太刀と小豆を持ってお参りするならわしとなっており、最近では、絵馬のように刀に願い事を書いて奉納する人が増えている。
 また、4月第3日曜日の例祭日には、宮崎定直(ミヤザキサダナオ)の故事にちなんで剣道の奉納試合がとり行われる。県下唯一の野試合(ノジアイ)【屋外で行う剣道の試合】として、青少年が日頃の練習の成果を奉納している。

交通

鉄道 JR紀勢線紀伊宮原駅から徒歩16分
阪和自動車有田ICから車で20分
駐車場 あり

関連情報

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