甲斐みのりの
かわいい わかやま

《第1話》

懐かしくて心和む、和歌山市内の『純喫茶』を巡る

甲斐みのりの小さな旅にご案内

甲斐みのりのかわいい わかやま

はじめに


 和歌山県田辺市の観光案内冊子の制作をきっかけに、和歌山県に通い初めて10年以上。東京を拠点に旅や散歩について

書き綴る文筆家である私が、この10年でもっとも多く訪れた都道府県が和歌山県です。平均すると年に4~5回ほど。県内に多くの友人・知人ができ、さまざまなお気に入りの店・場所・食を紹介いただきます。

 今から6年ほど前になりますが、和歌山県在住の“純喫茶好き”4名と一緒に、和歌山市の純喫茶巡りをすることになりました。友人いわく和歌山市には、昭和の時代から続く昔ながらの喫茶店が数多く残されているというのです。

 それもそのはず。総務省統計局による2014(平成26)年の「喫茶店の『いま』」によると、人口1千人当たり喫茶店数が最も多い都道府県ランキングで和歌山県は全国3位。和歌山市にいたっては、個人経営の喫茶店割合が最も高い都市第1位。統計的にも和歌山は、喫茶店王国と言えましょう。

 6年前の純喫茶巡り後「また次回も!」と約束を交わしたもののコロナ禍が訪れ、2回目の開催は叶わぬまま。今回、和歌山県公式観光サイトで全4回の連載が決まった際、一番に「和歌山市で純喫茶巡りがしたい」と申し出ました。

 戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、全国的に喫茶店の数がぐぐっと増えました。ただお腹を満たすだけでなく、ひとりの時間を過ごしたり、家族や友人との団欒、音楽はじめ文化の発信、商談やデートやお見合いと、さまざまな目的で利用されていたのです。

 店の佇まいや内装、コーヒーやメニューの味、店主の人柄……。それぞれにロマンチックな物語が潜んでいるのも喫茶店の味わい。1本の映画を観たり、1冊の小説を読むのと等しい充足感に満たされます。

 けれども戦後80年が経ち、経営者の高齢化や後継者不足で、長く愛されてきた店の灯りが消え始めている事実があります。できうるかぎり、「いつか」ではなく「いま」足を運びたい。そんな思いを抱いて、憧れの和歌山の喫茶店5軒を訪ねました。



あこがれの喫茶店「純喫茶 ヒスイ」

 和歌山屈指の繁華街として賑わいをみせた、ぶらくり丁商店街。一風変わった名前の由来は、店先に商品をぶらさげて販売する店が多かったからなのだとか。今も昭和の時代の商店建築や趣ある字体の看板が随所に残り、古い映画の中の世界のような風景を活かした新たな店も誕生しています。

 そんなぶらくり丁商店街から目と鼻の先にある「純喫茶ヒスイ」は、喫茶店愛好家の友人から「和歌山市に建築的にもすばらしい喫茶店がある」と聞いて憧れていた店。以前に和歌山市を訪れたときには、創業者・髙木淳彰さんと、妻・和子さんが亡くなられた時期と重なりお店も休業中でした。2023(令和5)年に髙木さんの娘さんご夫婦が、週3回と営業日を限って再開したと知って、ようやく伺うことができました。


 「純喫茶ヒスイ」の創業は、昭和のオリンピックが開催された年と同じ1964(昭和39)年。髙木さんはもともと現在店がある場所で「VAN」という喫茶店を営んでいました。そんな中、大阪の千日前にかつてあった音楽喫茶「翡翠」を訪れ、絢爛豪華な装飾に感銘を受けたそう。和歌山でも同じような店を開きたいと思い、同店の後ろ盾を得た上で同じ建築士に設計をしてもらい、同じ大工さんを呼び寄せて、3階建ての宮殿のような新たな空間を造り上げました。

 中央が2階まで吹き抜けの店内は、上部に装飾を施した木製の列柱、大きなステンドグラスにまばゆいシャンデリアと、目に映る全てが華やかでロマンチック。木、石、鉄、タイル、ガラス、絨毯や壁紙にいたるまで、素材も色もデザインも目をみはるものばかり。1階・2階それぞれに、あえて段差をつけた客席が設けられているのは、客同士の視線が合わないための工夫。現在2階は使用されていませんが、見学や写真撮影は可能です。


 「私が子どもの頃は3階に住んでいたので、店をとおって学校に通っていました。当時の営業時間は朝7時半から夜11時半まで。連日大賑わいで、住み込みの従業員がいたほどです」と、両親の後を継いで店を守る娘さん。大阪で暮らす息子さんが撮影するインスタグラムの写真を眺めていると、あれもこれも食べたいものだらけ。複数人でお邪魔して、みんなで少しずついろいろなメニューをいただきました。

 純喫茶ヒスイの一番の名物は、ピンクの色合いから「ピンソ」と呼ばれる「桃のクリームソーダ」。創業時にピンク色のクリームソーダは珍しく、口コミで評判が広がって名物に。一時期は姿を消していましたが、店の再開をきっかけに復活したメニューです。

 アイスクリームとバナナを組み合わせた「バナナクリーム」は、昔はぶらくり丁周辺の喫茶店では定番のメニューだったそう。「チョコレートパフェ」のグラスの下にはりんごのゼリーが入っています。クリームたっぷりの「クリームトースト」と、ほどよい硬さのりんごをのせた「アップルシナモントースト」は、厚切り食パンを使ってたっぷりの食べ応え。以前はモーニングやランチもやっていたけれど、今は2代目夫婦でできる範囲でメニューを絞って続けています。

 近年の昭和レトロブームで、県外からわざわざ足を運ぶ人も増えていると言います。この比類のないまばゆい空間は、和歌山の文化遺産であり、日本の喫茶文化の宝物です。



◆ 純喫茶 ヒスイ

和歌山市中ノ店南ノ丁9

営業/11:00~17:00(L.O.16:30) ※土曜日・日曜日・月曜日は祝日でも営業

休み/火曜日・水曜日・木曜日・金曜日


愛らしさが満載「珈琲るーむ 森永」

 前回の和歌山市純喫茶巡りで、喫茶店愛好家の仲間たちと待ち合わせ場所に選んだのが「珈琲るーむ森永」。

創業は1947(昭和22)年。和歌山市でもっとも歴史ある喫茶店です。長年店を切り盛りしてきたのは、平川寿さん・彩栄さんご夫婦。現在は娘の森美和さんがお店を営み、昔からのお客様も数多く来ていただいているようです。「父が店を始めたのは戦後の何にもない時代。母は大阪の堀江から嫁いできました。当時は“森永”といえばキャラメルやチョコレートを思い浮かべる人が多かったので覚えやすく、わくわくした気持ちになれるようにこの店名をつけたそうです」と美和さんにお聞きしました。


 JR和歌山駅と和歌山城をつなぐ、けやき大通り沿いの店舗は、1957(昭和32)年の築。外内観には、フランク・ロイド・ライトが設計を手がけた旧帝国ホテル本館はじめ、名建築に使用されることが多い大谷石や、イニシャル入りの耐火煉瓦と、贅沢な素材がふんだんに使用されています。

 昔は自動で開いた入口のガラス扉、お花のデザインを施した鉄製のパーテーション、小ぶりの机と椅子、カウンターの照明と、どれをとっても愛らしい。それから、赤いガラスのライトがどこか妖艶な光を放つ奥の席も特等席。美和さん曰く「新宮市生まれの祖父は証券会社をやっていて、同じブロックにある和歌山トヨタの創設に関わった一人。父も証券会社勤めをしてたんです。奥の部屋はもともとは商談しやすいように作ったスペース」とのこと。今ではこの席でなければという人もいるほどです。


 今回注文したのは、トースト、ベーコンエッグ、サラダに季節のフルーツを盛り合わせたプレートとコーヒーがセットになった、ボリュームたっぷりのモーニングサービス。それから食後には、通称「カルコー」と呼ばれる「カルピス・コーラ」。カルピスをコーラーで割ったこのドリンク、ときどき関西の喫茶店で「キューピッド」という名前で見かけることがありますが、東日本育ちの私には珍しく、見かけると注文せずにいられません。珈琲るーむ森永でも、随分前からお馴染みのメニューなのだそう。

 客席の一角には、小説から実用書まで、本がずらりと並んでいます。「本好きの常連さんが蔵書を持ち込んでくださるんです。ありがたいことにうちは、植木や花も、お客さんが面倒を見てくれるんです」。こんなエピソードも、地元の人に愛されている証拠です。

 昔は市電が走っていたという、けやき大通り沿いの大きな窓から、車やバスが行き交う景色を眺めながら、しばしの間ゆったりと朝の時間を過ごしました。


◆ 珈琲るーむ 森永

和歌山市美園町2-68

073-422-2420

営業/8:00~17:00

休み/土曜日・日曜日・祝日

豪華な琥珀色の世界「珈琲館 ガス燈」

 和歌山市北部に位置する狐島の交差点近くで1982(昭和57)年から続く大型の喫茶店「珈琲館ガス燈」。

和歌山では改名前の「喫茶ガス燈二番館」という名で覚えている方も多いはず。こちらの店舗ができる前は「一番館」という店名で、カウンターだけの小さなコーヒーショップからスタートしました。イングリッド・バーグマンが出演する映画「ガス燈」に感銘を受けた創業者が、畑屋敷から今の場所に移転する際、店名を改めたそうです。


 古城のように堂々と構える赤煉瓦造りの外観にまず圧倒されますが、入口の向こうにもまた豪奢な琥珀色の世界が広がっています。シャンデリアやステンドグラス、アンティークの調度品に彩られた店内は、貴族の館のようなクラシカルな趣。そのほとんどが、フランスから買い付けた一等品。それぞれの客席が重厚な木製の仕切りで囲われているので、独立した空間が守られてゆったりと寛げます。入口を飾るガス燈をモチーフにした照明や、昭和の時代に流行したゲームテーブルの席、ベルベットを貼った高い天井、どっしりと背の高い椅子も見所です。


 さらには創業時から勤めるコックが作る、多様な手作りメニューも地元で長く愛される理由。レシピやソースと、変わらぬ味が守られています。一番人気は「ハンバーグとエビフライ」。「自家製焼きプリン」や「冷やし白玉ぜんざい」と、フルーツを使って彩り豊かに仕上げた和洋のデザートも豊富。「毎日食べに来てもらえるように」と、手頃な価格なのもありがたいかぎりです。BGMが昭和の歌謡曲というのも個人的には嬉しいポイントでした。


◆ 珈琲館 ガス燈

和歌山市狐島468

073-453-7021

営業/8:30~17:00(L.O.16:30)

   ・月曜日~土曜日 8:30~11:30(モーニング)/11:30~14:00(ランチ)

   ・日曜日?祝日 8:30~12:00(モーニング) ※ランチはお休み

休み/火曜日

ほっと心が落ち着く空間「コーヒーショップ ナカムラ」

 喫茶店にはさまざまな形や個性があるけれど、実家に帰ってきたような親しみやすい雰囲気が漂う店も、ほっと心が落ち着きます。旧丸正百貨店近くの「コーヒーショップナカムラ」も、まさにマスター夫婦のリビングにお邪魔しているような気さくな空間。もともと食堂を営んでいた現マスターの母親が喫茶店を始めたそうです。そうして1977(昭和52)年に建てたビルの1階で、変わらず営業を続けています。


 本町通り沿いの入口が、なんともいえず愛らしい!半円状の軒先テントも窓ガラスも、丸みを帯びた柔和なデザイン。そうして中に一歩入ると、古きよき昭和の趣の喫茶店の中で、サイフォンで淹れるコーヒーを口に運びながらおしゃべりに花を咲かせたり、静かにタバコを燻らせたり、常連客が思い思いに寛ぐ姿がありました。

 ワインレッドの絨毯。個性的な形のタイル。球体のスピーカー。シャンデリア風の照明。モダンなデザインがそこかしこに。北ぶらくり丁の通りを挟んで数軒隣の大衆演劇「紀の国ぶらくり劇場」で活躍する役者たちの大入袋が、壁の一角を埋め尽くしています。


 その日ごとの定食やどんぶり、サンドイッチなどの軽食がメニューにある中、オーダーしたのは、フルーツで飾りつけた2段重ねのホットケーキ。店の奥の席に腰かけて、ガラス窓の向こうに広がる緑豊かな裏庭を眺めるうちに、ここが街中であることをつい忘れてしまいました。


◆ コーヒーショップ ナカムラ

和歌山市本町3-33

073-422-4318

営業/8:00~17:30

休み/日曜日


キャバレーの楽屋をイメージ「ザ・ミソノ」

「昔から古いものとか、世界が朽ちていくような、終わりかけの美しさみたいなものに惹かれていて。光と影やったら影の方にいた方やと思うんですけど、でもキラキラしたものにも憧れがあって」と話してくださったのは、ヴィンテージウェアを集めたブティック併設の喫茶店「ザ・ミソノ」のオーナー・生島智子さん。生島さんは和歌山市内で「ラーメンまるイ」や「紀美野サウナ&ホテル」も経営しています。


 ザ・ミソノが所在する「みその商店街」は、JR和歌山駅前近くにありながら、シャッターを下ろす店が多い、ひっそりと静かな一画。同時に、趣ある字体やデザインの商店看板が多く残る、見る人が見れば宝の山。私も夢中で、今はもう営業していない周囲の店の看板を探して写真に収めました。

 「みその商店街に光が灯ればいいなと思って。誰にも見つからなくても、自分が誇りにできる場所があればという動機で作ったんです」と生島さん。最初は今よりずっとアングラな雰囲気だったのが、SNSを中心に脚光を浴びて客足が増え、生島さんが想像していた以上に注目を集めることになりました。キャバレーの楽屋をイメージしたというザ・ミソノのインテリアや蔵書やメニューからは、“時別な自分の居場所”を探す人たちに開かれた、文化の香りが漂います。

 日本でキャバレーといえばホステスによる会話を通した接待のイメージが色濃くありますが、本場フランスでは、ダンスや歌などパフォーマンスを観覧しながらお酒を楽しむ社交の場。数々の一流の文化人が集ったことでも知られています。


 メニューには、和歌山県の主には南紀地域の喫茶店で親しまれる、紅茶を炭酸で割った「ティソーダ」が。喫茶店の大定番「ナポリタン」や、「懐かしい固めプリン」もあります。食べてみたい、見てみたいものだらけで迷いながら、ひとつに決めたのが「ペアソーダ」。中央に仕切りがついたペアグラスを使用した、とびきり愛らしい2色のクリームソーダです。


 現在、生島さんは来春のオープンに向けて一棟貸しの宿を改装中なのだそう。今度はどんな世界を見せてもらえるのか、楽しみです。


◆ ザ・ミソノ

和歌山市美園町5-3-4

073-499-7483

営業/12:00~17:00

休み/火曜日・水曜日


おわりに


 今回訪れた喫茶店以外にも、まだまだ和歌山市はじめ和歌山県内には、昭和の時代から半世紀以上続く名店が残されています。ぜひみなさんも和歌山で、セピア色の物語の世界へ潜り込むように、喫茶店巡りをしてみてください!

甲斐 みのり Kai Minori


文筆家・エッセイスト。

日本文藝家協会会員。「高野山・熊野を愛する百人の会」メンバー。

静岡県生まれ。大阪芸術大学文芸学科に進学し、卒業後に京都の小出版社や祇園の料亭で働く。現在は東京在住。旅、散歩、手みやげ、お菓子や地元パン(R)、クラシック建築、暮らしや雑貨などを主な題材に執筆。雑貨やカプセルトイのプロデュース、講演会、地自体の観光案内パンフレットの監修もおこなう。2025年5月に和歌山県田辺市の朝を紹介する『朝をたのしむ田辺さんぽ』を刊行。

著書は50冊以上。『旅のたのしみ』では、和歌山県のティーソーダ文化について触れている。『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』原案のドラマ『名建築で昼食を』には監修として携わった。


甲斐みのりの和歌山市内を巡る『純喫茶MAP』

  • 純喫茶 ヒスイ
  • 珈琲るーむ 森永
  • 珈琲館 ガス燈
  • コーヒーショップ ナカムラ
  • ザ・ミソノ

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