甲斐みのりの
かわいい わかやま

《第2話》

悠久の聖地に心やすらぐ世界遺産『高野山』を巡る

甲斐みのりの小さな旅にご案内

甲斐みのりのかわいい わかやま

はじめに


 和歌山県に何度も通いながら、いまだ訪れたことがなかったのが高野山。「高野山・熊野を愛する100人の会」のメンバーでありながら、高野山未体験とは……と、この何年か、常に頭の中に高野山があった。和歌山県のイベントや、有楽町の「わかやま紀州館」を訪れては、高野山のパンフレットをもらったり、和歌山県公式観光サイトで旅のシミュレーションをしたり。和歌山の方に直接、高野山について話を聞いては、「行ってみたい」と思いを募らせていた。

 和歌山の方の多くは、高野山を開いた弘法大師・空海のことを、敬愛を込めて「お大師様」と呼んでいる。決して遠い存在ではなくて、いつも身近なところにその存在を感じているようで、なんとステキなことだろう。そうして、「自利利他」や、「現世では死闘を繰り広げた相手でも、考え方や信仰が異なる同士でも、高野山の奥之院では対立をリセットして共存する」弘法大師の教えや、一大聖地である高野山は空気が違っているということを、生き生きと話してくださる。「関西で用事があった際にはぜひ足を伸ばしてください」と、展望デッキ付き観光列車「天空」の案内や、京都駅からの直通バスの時刻表を手渡していただいたことも。高野山の存在をいかに誇りに感じているのが伝わってきた。

 高野山はどんな場所?弘法大師・空海とは?実際に高野山に向かうとき、この和歌山県公式観光サイトや、高野町観光協会公式サイトを読み込んで、聖地・高野山への理解がより深まった。行ってみたいと思った方、実際これから行かれる方に、あらためておすすめしたい。

 「一度行くと魅了されますよ」とおっしゃる方がいたけれど、本当にその通り。今回ようやく訪れることができたが、高野山に向かう道中から「回りきれないところがあっても、また次がある」と再訪を決めていた。高野山は、豊かな自然と、深い信仰、人々の暮らしの営みが、共存する稀有なところ。まちじゅうに神聖で崇高な雰囲気が漂っている。インバウンド客が多いことにも驚いたけれど、みな真摯に高野山ならではの静かな環境や、精神世界と向き合っているようだった。

 もちろん私も。深く息を吸い込んで、心を五感に委ねる。純粋に、木々や石や目には見えない何かに畏敬を感じたり、美しい造形や色彩に胸を打たれた。普段の自分がどんなに余計なものを背負っているのか、宿坊での食事や勤行を通して気がついた。1日高野山で過ごしただけで、昨日より感覚が研ぎ澄まされているのが分かった。

 そんな中でも、いつものように、“かわいい”、“おいしい”、“たのしい”に、しっかりで合うことができるのも高野山の懐の深さ。ここからは私が“はじめての高野山”で見つめた景色をご覧ください。

弘法大師を感じる「奥之院」

 弘法大師・空海は、今から1200年以上前に、標高900メートルの山上の盆地・高野山に、真言密教の一大道場を開いた。中でも、「奥之院」と「壇上伽藍」は、2大聖地として信仰の中心とされる場所。一の橋から約2キロメートル続く奥之院の参道には、樹齢数百年の杉の大木が連なり、織田信長や明智光秀と戦国武将の供養等をはじめ、20万基以上の墓碑が建ち並ぶ。他では体験したことのない深奥な光景が広がるが、澄みきった空気は不思議なほど柔らかい。

その最奥に位置する御廟では弘法大師が今も生きて世の平和と人々の幸せを願い、瞑想を続けていると信じられている。そうして毎日、朝6時と10時30分の2回、弘法大師に御供所で作られた食事を届ける儀式「生身供(しょうじんぐ)」が行われている。維那と呼ばれる仕侍僧に先導されて、2人の僧が御膳が入った白木の箱を担いで御廟に向かう様子を、適度な距離を取って、一般参拝客も見ることができる。神聖でありながら、弘法大師の存在を近くに感じることができる特別な儀式だ。玉川にかかる御廟橋の先は撮影禁止で、これまで以上にいっきに異世界へ誘われる。

 総本山金剛峯寺高野山執務公室主任の稲生昌大さんは「命をかけて戦った戦国武将たちが、同じ場所に墓碑をかまえるというのは、海外の方からしたら珍しいようです。怒りや恨み、悲しみを浄化してくれる力がお大師様にあるんです」とおっしゃっていた。それから「全てのものがひとつひとつ、それぞれに関わり合って、おおいなる命を生きている。曼荼羅の信仰の世界のよう」だとも。私自身も、奥之院を歩くうちに、すっと気持ちが鎮まって、穏やかな感情に満たされた。

圧倒的な美しさ「壇上伽藍」

 弘法大師・空海が高野山を開山した際に最初に整備したのが「壇上伽藍」。多宝塔様式として日本で最初に造られ、堂内全体が曼荼羅を立体的に表現した根本大塔や、高野山に117ある寺院の総本堂として重要な儀式がおこなわれる金堂、高野山開創1200年の記念事業として172年ぶりに再建された中門と、19ものお堂や塔が建ち並ぶ空間を、総本山金剛峯寺高野山執務公室長の薮邦彦さんに案内いただいた。

 曼荼羅といえば、和歌山を代表する偉人のひとり・南方熊楠が、真言宗の僧侶・土宜法龍に宛てた手紙に記した「南方マンダラ」を知って、大いに興味を抱いたことがある。熊楠は、真言密教の曼荼羅をヒントに自身の思想を絵図にしたためた。そんなことを思い出しながら根本大塔内部で目にした、立体の曼荼羅の美しさは圧倒的だった。「中心に大日如来という仏様がいらっしゃって、その周りに多数の仏様がおられる。その外側には人が横たわって亡くなっている姿であったり、餓鬼という邪鬼、鬼の存在も仏様として描かれている。我々が接することができるさまざまな自然現象、森羅万象、そういったものも仏様として描かれている。それら全てが合わさったひとつの大きな世界に私たちは生きていることを表現しています」と薮さん。小さな自分が大きな世界に生かされていることに手を合わさずにいられなかった。

 境内にある「三鈷の松」の前で薮さんは、「お大師様が唐より帰国される際に、真言密教を広めるのにふさわしい場所を求めようと日本に向かって投げた三鈷杵という法具が、この松にかかっていたといわれています。ここで三葉の松を見つけると縁起がいいと言われています」と話しながら、さっと三葉の松を拾って手渡してくださった。三葉の松は大切に財布にしまって、毎日をともにしている。

建築と装丁にときめく「高野山大学図書館」

「高野山大学」の前身は、1886(明治19)年に開校の「真言宗古義大学林」。国内でも指折りの歴史がある大学だ。

 そうして1929(昭和4)年に、「高野山大学図書館」が完成。大学の図書館の先駆けといわれる。高野山初の西洋建築で、創建当時は「東洋一の図書館」と称された。設計したのは、関西建築界の父と称される武田五一で、施工は清水組。鉄筋コンクリート3階建てで、正面中央玄関の左手に研究室、右手に閲覧室を配する。閲覧室の背後には内部5層の書庫が。アーチには細やかな装飾が施され、階段や手すりも独特な形。五一はところどころに、胎蔵曼荼羅に金剛界曼荼羅、『大日経』や『金剛頂経』など、仏教や密教に関するデザインを取り入れ、芸術的に再現している。昭和初期の技術の粋を集めた貴重な建物は、国の登録有形文化財にも指定されている。

 

 蔵書は、密教・仏教・国文・歴史などの書物を中心に、約30万冊。仏教や密教に関する資料は国内有数の蔵書数で、国の重要文化財『大日経』、『金剛頂経』、『蘇悉地経(そしつじきょう)』の3点をはじめ、古写本や版本なども所有。密教・仏教の研究者だけでなく、国文学・国語学・歴史学の、国内外の研究者からも頼りにされる存在である。

 学生や同窓生に限らず、年間利用登録すれば一般でも利用が可能。書庫には日本の近代文学の美しい装丁の本が並ぶ棚もあって、建築好きとしても、本の装丁好きとしても、心がときめいた。

◆ 高野山大学図書館

伊都郡高野町高野山385

0736-56-3835

営業/WEBサイトでご確認ください

古の和歌にちなんだ「御菓子司 さゞ波」

 「御菓子司 さゞ波」は、1912(大正元年)年創業の和菓子店。周囲を山に囲まれた高野山で、なぜ“さゞ波”という店名か、4代目・前隆弘さんに尋ねた。「高野山では、女人禁制が廃止された明治時代に、いろいろな土地からやってきて、新たに商売を始めたんです。初代は滋賀県大津の出身。千載集に『さゞ波や 志賀の都はあれにしを 昔ながらの 山ざくらかな』という平忠度の歌があり、そこから、さゞ波という屋号をつけたそうです」。

 創業時からの名物は「酒饅頭」。およそ2日間かけて壺の中で自然発酵させる、創業以来受け継がれる米麹を使って作る。そうしてできた、ふんわりしっとりとした生地で、シンプルな材料のこしあんを包んでいる。米麹の発酵は気温の変化にも左右されるので、大変に手間がかかるそうだ。

 他にも、壇上伽藍の鐘楼堂にある大塔の鐘「高野四郎」をモチーフにしたもなかも名物。店頭で購入すると、その場でもなか皮に粒あんをつめてもらえるので、皮はパリパリであんこはしっとりみずみずしい。酒饅頭も高野四郎も、店先のベンチに腰かけ味わうことができる。

 白い水玉の中に、文字を配置したユニークなデザインの包装紙もすてき。毎年6月15日に開催される、弘法大師・空海の誕生を祝う「青葉まつり」で披露される「大師音頭」がデザインモチーフ。

 昔、無量光院の住職が書いてくれた一枚板の大きな看板には、裏表に「総本山金剛峯寺御用達」の文字。山内各寺院のお茶菓子として、長く愛されてきた証である。

◆ 御菓子司 さゞ波

伊都郡高野町高野山796

0736-56-2301

営業/8:30~18:00

休み/月曜日(定休日が祝日の場合は営業)

包み紙まで愛らしい「御菓子司 かさ國」

 高野山を訪れたら、必ず立ち寄りたいと思っていたのが、奥之院にある「みろく石」にちなんだ銘菓で知られる「みろく石本舗 かさ國」。旅の前に、どのお菓子をおみやげにしようか公式サイトをじっくりと眺めていたところ、これがいい!と心がときめいたのが、「高野六木」と「小鈴最中」だった。

 高野六木は、麩種に、高野山に自生する樹木、高野槇、高野杉、赤松、檜、もみ、とがを焼印して、和三盆糖、佛手柑糖、黒糖、生姜、味噌、はったい粉と、それぞれ異なる味に仕上げたもの。「法印転衣式」という高野山独自の式典のために作られた小鈴最中は、愛らしい鈴型のもなか。前日までの要予約とあったのでしっかりと予約した。

 かさ國の始まりは1871(明治4)年。行商をしていた小林國三郎が、よろず屋「かさ國」を創業したという。かさ國という名前は、主に傘を製造販売していたことと、初代の國三郎という自身の名前にちなむ。その後、昭和初期に和菓子店に。以来、高野山総本山金剛峯寺の御用達の和菓子店として続いている。

 今のように交通の便が発達していなかった時代、高野山を訪れる人はみな長い距離を歩いてやってきた。そうして疲れた体を癒していたのが、かさ國のお菓子。約50もの宿坊や寺院で振る舞われていたという。

 予約していたお菓子を受け取りに伺うと、店先に並ぶ、高野山名物の「焼餅」や「くるみ餅」もおいしそう。イートインスペースで、やんわりと香りがいい作りたてのお菓子を、お茶とともにほおばった。私は『お菓子の包み紙』という本を出すほど、お菓子の包装にも興味があるのだけれど、かさ國の銘菓と水玉模様がデザインされた包み紙があまりに愛らしく、お菓子を食べたあとも大切に保管している。

 イートインスペースには、大塔や大門と高野山のデザインがほどこされた、貴重なビンデージのアロハシャツが額装されている。どういった経緯で作られたかは不明だが、5代目の小林章義さんがハワイで見つけたそうだ。

◆ みろく石本舗 かさ國

伊都郡高野町高野山764

0736-56-2327

営業/8:00~17:00

休み/不定休

食べ比べも楽しい「濱田屋」

 創業は明治中期。初代は現在の高野山大学がある場所で豆腐屋を始めた。創業当時から胡麻豆腐を作っていたけれど、当時は主に高野豆腐と、山内の寺院の食事用に木綿豆腐を製造していたそう。昭和30年頃になって、高野山で高野豆腐が作られなくなったのをきっかけに、おみやげとして胡麻豆腐を主体に作るようになった。そうして平成には胡麻豆腐1本に。製造工程の中で、般若心経1巻と大師御宝号3遍を唱えるのも日々の日課だ。

 「高野山の胡麻豆腐は白くて油分が少なく、あっさりとした味わいが特徴になります。丁寧に白胡麻の皮をむきまして、中の白い芯の部分だけ使うんです」と5代目の濱田朴穏さん。他に使う材料は、100%の吉野本葛と、高野七弁天のひとつ・圓山弁天様が水源の自家井戸から組み上げる清水のみ。もっちりとした食感で、優しい味わいの胡麻豆腐には、わさび醤油はもちろんのこと、お大師さんの出身地・讃岐にちなんで和三盆をかけてスイーツのように味わうこともできる。

 

 それから丸型の胡麻豆腐も、最近は人気が高い、50年以上前から丸型を作っていたのは、宿坊に数日泊まる方が、角型の胡麻豆腐だけでは飽きるだろうというおもてなしの心から。以前は丸型は受注生産していたが、せっかくならとここ最近でレギュラーに加わった。「丸型は鍋の底の方で作るので少しずつ煮詰まって、角型よりも粘りが強く味も濃い」と教えていただく。角型、丸型、どちらもイートインできるので、四角と丸型、どちらが好みか食べ比べるのも楽しい。胡麻豆腐の要でもある井戸水も飲むことができるのでぜひ!


◆ 高野山 胡麻豆腐 濱田屋

伊都郡高野町大字高野山444

0736-56-2343

営業/9:00~17:00(売り切れ次第終了)

宿坊で心身軽やかに整う「龍泉院」

 現在、高野山にある117の寺院の中で、宿坊として利用できるのは51ヵ寺。美しいお庭や、戦国武将ゆかりのお寺、阿字観(あじかん)とよばれる真言密教の瞑想や写経の体験など、宿坊ごとにさまざまな特徴があって、非日常の空間に身を置くことができる。今回、私が「一般社団法人高野山宿坊協会」に紹介していただいたのは、松下幸之助や谷崎潤一郎ゆかりの「龍泉院」。普段の夜はなんとなくだらだらと過ごすことが多い。それが、夕方には食事を取り、早めに就寝し、朝の勤行に参加したあと朝食という時間を過ごすことができて、心身ともに軽やかに整った。

そうして、初めての宿坊で味わった初めての本格的な精進料理のおいしかったこと。想像以上に品数があって、しっかりとした食べ応え。もともと大豆料理をよく食べていたけれど、この日をきっかけにますます日常でも取り入れるようになった。何より感動したのが、朝の勤行。住職と複数人の僧侶がご本尊を前に読経する。なんとも荘厳で神秘的で、美しい音楽を聴いているようなすばらしい体験だった。住職と僧侶、それぞれの所作から目が離せず、清らかな声にじっと耳を澄ます。勤行のあとにいただいた朝食も、シンプルだけれどとびきりのおいしさだった。


◆ 龍泉院

伊都郡高野町高野山647番地

0736-56-2439

昭和の風情をとどめる「高野山駅」

 1930(昭和5)年の開業以来、高野山への玄関口をになう、南海電気鉄道鋼索線・高野山駅。標高867メートルに位置する山上駅で、険しい山の斜面を登り下りするケーブルカーのプラットホームは階段状。

 国の登録有形文化財に指定される駅舎は、1928(昭和3)年の竣工当時の風情をとどめる木造2階建て。屋根は寺院風の宝形造りで、中央には厄よけや海運の願いを込めて火をかたどった宝珠が。高野山開創1200年記念大法会がとりおこなわれるのに合わせて、2015(平成27)年にリニューアルがおこなわれた。かつてレストランとして使われていた2階には、丸窓や欄干など開業当時の意匠を再現。大きな窓の向こうに山々の絶景が広がる待合室や、駅の歴史を伝える展示スペースも新設した。駅前でバスに乗り換えて、山内各所に向かう。

聖域と世俗の境界「極楽橋駅」

 弘法大師・空海が開いた聖地・高野山は、山全体がお寺の境内とされる「一山境内地」。そうして、聖域と世俗の境界となるのが、極楽橋と言われている。

 高野山ケーブルカーへの乗り換え駅となる極楽橋駅は、2020(令和2)年に駅舎が「はじまりの聖地」をテーマにリニューアルされた。一番のみどころは天井絵。電車側は世俗を表す黒が基調で、複数のアーティストが描いた高野山ゆかりの動植物が彩る。一方、ケーブルカー側は聖域を象徴する赤を使用。高野山ではしめ縄と同様の意味を持つ宝来をモチーフに、干支や縁起ものが描かれている。

◆ 南海電気鉄道 極楽橋駅

伊都郡高野町高野山国有林

050-3090-2608

営業/8:00~21:00(南海電鉄コールセンター)

わざわざ立ち寄りたい「おむすびスタンド くど」

 弘法大師・空海が高野山を開創した際、母が滞在した慈尊院に月に九度下山したことから付けられた九度山町。関ヶ原の戦いに敗れたあとに、真田昌幸・幸村父子が隠れ住んでいた土地としても知られている。

 1924年(大正13)年に開業した、南海電気鉄道・九度山駅は、駅舎もホームも木造で趣が残る。2016(平成28)年放送のNHK大河ドラマ「真田丸」をきっかけに、真田家ゆかりの「六文銭」の幕がかけられるようになった。

 そんな駅の構内にあるのが、高野山で作られる和紙・高野紙に彩られた「おむすびスタンド くど」。かまどで炊くごはんを使ったおむすびや、おみやげにできる和歌山の食材を販売している。おむすびのお米は全て九度山産。のりや、10種類以上揃う具材も、ほとんどが和歌山産を使っている。

 お米をおいしく炊くコツを尋ねると、「香りと音を敏感に察知します。湯気の出るタイミングを見たり、おこげがばちばちと剥がれる音を聞いて、薪を抜いたり足したり。調整が難しいですが、駅の構内で仕事をしていると、穏やかな時間が流れてすごく気持ちがいいです。電車も、乗ってる人を見ていても楽しい」というステキな答えが返ってきた。

 

 今回私が選んだのは、「美里の金山寺味噌」と「びんちょうまぐろ旨煮」に、梅・しそ・ごま・かつおぶし・甘酒フレークをまぜた「うめももちりめん」。それから、自家製味噌と薄く切った豚で作る「豚汁」と、昔ながらの水筒に入れた色川の無農薬ほうじ茶。スタンドで購入したものは、車輌の一部をリノベーションし、貴重な列車集中制御装置を保存展示するイートインスペースで飲食可能。どれもしみじみおいしくて、このおむすびを食べるために、わざわざ九度山駅で下車する人が多いというのも納得だ。皿やメニューに「へぎ」と呼ばれる杉の廃材を使っているのは環境に配慮してのこと。兵庫県川西市にある予約制の古書店「books+kotobanoie」セレクトの古本も販売しているので、お腹が満たされたあとは、一期一会で出合った本を携え、旅の続きに出るのもいいな。

※おむすび・豚汁は撮影用の盛り付けをしていますが、実際はテイクアウト用の容器に入っています。


◆ おむすびスタンド くど

伊都郡九度山町九度山123-2

0736-20-7553

営業/木曜日・金曜日  10:00 - sold out

土曜日・日曜日・祝日 9:00 - sold out

休み/月曜日・火曜日・水曜日



泊まれる駅舎「NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道」

 鉄道好きな方におすすめしたいのが、南海電気鉄道・高野下駅の、なんと駅舎内にあるホテル「NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道」。高野下駅がある地域は、もともと高野山詣りの宿場町として栄えたところ。1925(大正14)年の開業当時は、高野山にもっとも近い駅だったため、一時期は高野山駅という名前だった歴史がある。現在は、南海電気鉄道のなかでは10本の指に入る乗降客数が少ない駅だけれど、駅舎=ホテルとなれば、かえって静かな環境をありがたく思える。

 ホテルの部屋は、改札のすぐ目の前。徒歩10~20歩という近さ。電車を降りて、ものの数秒でたどり着く。部屋は、元は乗務員の待機所で2人まで泊まれる「天空」と、駅係員の宿直室を改装して4人まで宿泊可能な「高野」の2部屋。窓から、ホームを行き来する電車を眺めることができるうえ、引退した車両のパーツや看板が設置され、小さな鉄道博物館のよう。快適にリノベーションされながら、柱や扉も昔のまま取り入れている。1人8000円~の手頃な価格も嬉しいところだ。

 高野下駅は無人駅で、ホテルの受付もない。チェックインからチェックアウトまで全てプッシュキーでの入退室。食事は事前に各自で調達を。隣駅のホームにある「おむすびスタンド くど」で、朝食を食べるのも楽しい。

◆ NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道

伊都郡九度山町椎出8-1

050-1808-9157


おわりに


 旅から戻ってすぐに、身近な人たちに夢中で高野山での体験を話した。またゆっくりと高野山で、さまざまなものを見つめる時間を過ごしたい。

甲斐 みのり Kai Minori


文筆家・エッセイスト。

日本文藝家協会会員。「高野山・熊野を愛する百人の会」メンバー。

静岡県生まれ。大阪芸術大学文芸学科に進学し、卒業後に京都の小出版社や祇園の料亭で働く。現在は東京在住。旅、散歩、手みやげ、お菓子や地元パン(R)、クラシック建築、暮らしや雑貨などを主な題材に執筆。雑貨やカプセルトイのプロデュース、講演会、地自体の観光案内パンフレットの監修もおこなう。2025年5月に和歌山県田辺市の朝を紹介する『朝をたのしむ田辺さんぽ』を刊行。

著書は50冊以上。『旅のたのしみ』では、和歌山県のティーソーダ文化について触れている。『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』原案のドラマ『名建築で昼食を』には監修として携わった。

甲斐みのりの世界遺産『高野山』を巡るMAP

  • 奥之院
  • 壇上伽藍
  • 高野山大学図書館
  • 御菓子司 さゞ波
  • 御菓子司 かさ國
  • 濱田屋
  • 龍泉院
  • 極楽橋駅
  • おむすびスタンド くど
  • NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道

※Google Mapの読込みが1日の上限を超えた場合、正しく表示されない場合がありますのでご了承ください

第1話 懐かしくて心和む、和歌山市内の『純喫茶』を巡る

第1話 懐かしくて心和む、和歌山市内の『純喫茶』を巡る
第1話 懐かしくて心和む、和歌山市内の『純喫茶』を巡る
第1話 懐かしくて心和む、和歌山市内の『純喫茶』を巡る
ページ
トップへ