和食の魂「醤油」のルーツをたどる旅
〜醤油づくりの歴史と伝統を継ぐ物語〜
紀伊水道に面し、古くから海とともに生きてきた町・和歌山県湯浅町。
ここは日本の「醤油醸造発祥の地」として知られ、今も古い町並みに、醸造の香りと職人の息づかいが漂います。
おいしくてヘルシーと、世界で注目を集め、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている「和食」。
その礎を支えてきたのが、和歌山の人びとの知恵と自然が生み出した“醤油”です。
和食文化の原点を訪ね、醤油のルーツをたどる旅へ出かけてみましょう。

和歌山県の発酵食品
和歌山県は、実は“発酵王国”。温暖な気候と清らかな水に恵まれ、古くからかつおぶしやみそ、酢など発酵文化が根づいてきました。中でも有田郡湯浅町は「醤油醸造発祥の地」として知られ、古い町並みを歩けば、木桶仕込みの香ばしい香りが鼻をくすぐるなど、今も職人が変わらぬ手仕事で醤油を仕込み、菌とともに生きる文化が息づいています。醤油以外にも、「金山寺味噌」は、鎌倉時代に中国から伝わった製法をもとに由良町で誕生。その味噌づくりがやがて醤油へと発展しました。印南町発祥の「かつおぶし」や県内各地でつくられる「酢」など、多彩な発酵食の歴史と文化があり、日本の食文化を支えてきました。
醤油の起源「興国寺」を訪ねて
由良町にある興国寺は、醤油のルーツをたどる上で欠かせない場所です。鎌倉時代、宋に渡った僧・覚心(後の法燈国師)が、中国の径山寺で学んだ味噌づくりの技法を持ち帰り、この寺で広めたのが始まりとされています。その味噌の製法が現在の「金山寺味噌」の始まりと言われ、野菜や穀物を加えて発酵させる独自の味わいで人びとに親しまれています。
やがて、味噌づくりの過程で塩の浸透圧によって野菜から出てくる旨み成分を含んだ液体が、調味料として重宝されるようになり、これが“醤油”の起源といわれています。湯浅の温暖な気候と清らかな水が発酵に適していたことも重なって、湯浅で醸造が始まり、やがて醤油づくりが町の中心産業として発展しました。興国寺は、和歌山が誇る発酵文化のルーツを今に伝える、歴史の舞台となっています。
Column
心を研ぎ澄ませる興国寺での坐禅体験
興国寺では、静かな時間の中で自分と向き合う坐禅体験を行うことができます。普段は入ることのできない禅堂で、かすかな風と鳥の声、そして遠くから聞こえる鐘の音が響き、自然と呼吸が深まる時間。同寺で修行をしている僧侶の風神さんが、一人ひとりの希望や経験に合わせて、心を整える時間を丁寧に導いてくれます。醤油の起源となった地で、精神を鎮めるひとときは、まるで発酵がゆっくりと進むように、心の奥に穏やかな変化をもたらしてくれることでしょう。忙しい日常を離れ、静寂の中に身を置くことで、自分の内にある“調和”を見つめ直す、そんな体験こそ、発酵文化の根底にある「時間と向き合う」ことの豊かさを感じられる瞬間です。
・坐禅体験
※事前連絡の上、希望の日時、人数などを伝えて予約。祭礼、法事などで希望に添えない場合もあります。

【湯浅醤油の「角長(かどちょう)」・加納さんにお話を聞きました】
菌とともに生きる、184年の蔵づくり
1841年創業の湯浅醤油「角長」は、184年を超える歴史を誇る老舗蔵。今も創業当時の木桶と土壁の蔵を使い続けています。桶や梁には数えきれないほどの菌が棲み、その力で醤油がゆっくりと発酵。大豆と小麦、塩と水、麹菌と酵母菌。わずか6つの素材が、一年半の時を経て深い旨味を生み出す醤油づくり。加納さんは「自分たちは菌の手伝いをしているだけ」と話します。蔵の中は常に湿度が高く、人にとっては厳しい環境も、菌にとっては心地よい世界。その環境を整えるために、二日に一度の櫂入れによる攪拌作業や温度管理を欠かしません。菌が息づくこの蔵では、伝統の技が連綿と続き、木桶の香りとともに時がゆっくりと流れています。
伝統を守りながら、新たな挑戦を
「伝統を守りながらも、お客様の声にはできるだけ耳を傾けたい」と語る加納さん。創業から184年、受け継がれてきた製法を守りながら、粉末醤油や小麦を使わない醤油など、新たな挑戦にも取り組んでいます。近年では海外からの見学者も増え、スイスから蔵を訪ねてくるファンもいるそうです。「海外では高価で手に入りにくい醤油ですが、量り売りで気軽に楽しんでもらいたい、そんな思いも膨らみます。日本で生まれたこの発酵調味料を世界の人にもっと知ってもらいたいので、かつて日本で行われていた瓶詰め販売を再現することが夢です」。184年の歴史に新たな一滴を重ねながら、角長はこれからも未来の味を仕込み続けていきます。
Column
湯浅の古い町並み
湯浅町は古代から熊野詣での宿場町として栄えました。江戸時代には、漁業や漁網づくりなどで栄え、藩内でも有数の商工業の町となります。その核をなしたのが、醤油醸造でした。
醤油醸造が最も盛んであった一帯(16世紀末期頃に開発されたといわれる北町、鍛冶町、中町、濱町を中心とする東西約400メートル、南北約280メートルの一帯)は、白壁の土蔵、格子戸や虫籠窓など、醤油醸造の伝統を感じる家並みが残り、平成18年(2006年)に全国初の醤油の醸造町として、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
醤油醸造など商工業を中心に発展した町が今も、『通り』と『小路』で面的に広がる特徴的な地割を残し、近世から近代にかけての重厚な町並みが歴史的風致をよく残す貴重なものと認められたのです。

【「加太淡嶋温泉 大阪屋 ひいなの湯」 料理長・赤間さんにお話を聞きました】
“本物の和食”を世界へ
「“和食は無形文化遺産”と言われていますが、海外ではまだ“本当の和食”を知らない人が多い」そう語るのは、和歌山市加太の旅館「加太淡嶋温泉 大阪屋 ひいなの湯」の料理長、赤間さん。そんな現状を変えるため、赤間さんは“本物の和食”を伝える活動を続けています。和食とは、自然の恵みと発酵が生み出した健やかな食文化そのもの。「もし醤油が誕生していなければ、現代の和食はここまで進化していなかったでしょう」と語ります。素材の味を引き立て、香りの奥行きで料理に深みをもたらす醤油。「和歌山は海も山も近く、新鮮でおいしい食材が豊富です。訪れた際には、ぜひ湯浅の醤油とともに味わってほしいですね」。赤間さんは、湯浅の職人とともに、和食の真髄を国内外へ発信し続けています。伝統の味を守りながら、世界へと広がる“発酵の輪”が、ここからまた新たに育まれています。
香りを愉しむ、新しい醤油の使い方
「醤油は、旨味はもちろん、香りの奥行きが深い調味料なので、醤油の香りをより活かして料理をしてみると、新たな楽しみ方ができるのではないでしょうか」と赤間さんは話します。旨みもさることながら醤油の魅力は、なんといっても奥深い香り。仕上げの一滴やスプレーに入れて香りづけをするなど、火を止めてから最後にサッと使うことで、フルーティーな香りやコーヒーのような香りなど、多彩な表情を楽しむことができます。また、あえて醤油を使わない料理を間に挟むことで、次の一皿で“醤油の偉大さ”をより感じられる工夫もしているそうです。海外のトップシェフたちも注目するこの万能調味料は、まさに和食を象徴する存在。赤間さんは、香りを生かした新しい和食の魅力を通じて、世界に発酵文化の豊かさを伝えています。
“醤油醸造の地”から、世界へ。湯浅が伝える和の心
醸造の香りに包まれた湯浅町では、今もなお伝統の味づくりが息づいています。鎌倉時代、興国寺の僧・覚心によって伝えられた味噌づくりから生まれた醤油は、日本の食文化を支える存在となりました。江戸時代から続く老舗「角長」では、蔵に棲む菌たちとともに、変わらぬ製法で醤油を仕込み続けています。そして現代、料理人たちはその一滴に込められた香りと旨味を、世界に発信し、伝統を守りながら、時代に寄り添い進化を続けます。湯浅は、醸造文化が紡ぐ“和の心”を未来へとつなぐ町。この町を歩けば、醤油の香りとともに、時を超えて受け継がれてきた人の営みを感じられます。
伝統と新しい息吹が調和する湯浅を訪れ、あなたの五感を満たす“発酵の物語”に出会ってみませんか。
- 興国寺
- 鎌倉幕府の三代将軍源実朝の菩提を弔うために、1227年の安貞元年に建立。その後、1340年の興国元年に後村上天皇の時代を経て「興国寺」と…

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- 湯浅醤油「角長」
- 醤油醸造発祥の地・湯浅で、天保十二年(1841年)創業の老舗「角長」。創業当時から使われる蔵と木桶を守り、冬季の寒仕込みや手づくりの製法を今も続けています。機械化に頼らず、菌の力と人の手でじっくりと発酵を進める伝統の味が魅力。周辺は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、古き良き町並み散策が楽しめます。湯浅醤油の原点を今に伝える角長では、香り深く、まろやかな“本物の醤油”の味わいに出会えます。

- 加太淡嶋温泉 大阪屋 ひいなの湯
- 加太港を望む老舗温泉旅館「加太淡嶋温泉 大阪屋 ひいなの湯」。最上階の展望風呂や露天風呂からは紀淡海峡や友ヶ島、遠く淡路島までを一望でき、夕暮れ時には“夕日百選”にも選ばれた絶景が広がります。新鮮な地魚を使った会席料理や旬の味覚も評判で、加太ならではの海の幸が楽しめます。ナトリウム‐炭酸水素塩・塩化物泉の湯は神経痛や疲労回復にも効果的。宿泊はもちろん、日帰り入浴でも極上のひとときを味わえます。

















