こころ動く。和歌山の文学・彩発見
和歌山で生まれた作家――有吉佐和子と中上健次を辿る

万葉の時代からその情景が歌に詠まれ、多くの詩や物語が紡ぎ出されてきた和歌山。そんな和歌山と深く結びつく二人の作家がいます。和歌山市出身の有吉佐和子と新宮市出身の中上健次。それぞれが描いたのは、郷土の風土や春夏秋冬の中で生きる女性たち、故郷新宮の「路地」に暮らす人々でした。時代を越えて読み継がれる彼らの作品には、和歌山という地域の記憶と温度が確かに刻まれています。文学を通して、いつもとは違う和歌山の魅力に触れてみましょう。

こころ動く。和歌山の文学・彩発見和歌山で生まれた作家――有吉佐和子と中上健次を辿る

有吉を魅了した、紀の川の青

有吉佐和子の代表作として今も読み継がれている『紀ノ川』。自身や家族を投影し、明治から昭和へ、激動の時代を生き抜いた女性3代の人生が描かれています。有吉が和歌山で暮らした期間は、幼少期と疎開期のわずか数年。それでも和歌山を舞台にした作品が多く残るのは、幼少期に見た紀の川の青さの鮮烈な印象でした。作中には、主人公・花の孫である華子がジャワから戻り、紀の川の青さに感嘆する場面が描かれています。その姿は、海外生活を経験した有吉自身の記憶が重なっているようです。また、細流を呑み込み、奔流の流れを変えて大河となる紀の川を女性の生き様になぞらえています。物語を知ることで、街の風景がまた異なる表情を見せてくれます。

作家の暮らしが息づく記念館

東京にあった有吉の自宅を、紀の川のそばに忠実に再現した「有吉佐和子記念館」。そこには、一人の女性として、作家として、そして母としての日常が至るところに残されています。書斎机の鍵穴に貼った、娘・玉青さんとの思い出のニコちゃんマークのシール。小説の筆をとる人ではなく、“生活者”としての彼女が垣間見えます。また、『和宮様御留』を執筆した際には茶道にのめり込み、自ら茶室を設けました。青磁のコレクションは彼女の美意識を映し出し、時を越えて“有吉佐和子”に出会える空間となっています。


来館者の中には1階に併設されているカフェを目的に来られる方も。お店にある作品を見て、“お母さんが読んでいた”、“表紙がかわいい”と手に取る方も多く、幅広い世代に有吉作品を知ってもらえるきっかけになっているんだとか。再注目されている『青い壺』をはじめ、多くの方々に有吉作品を発信する拠点となっています。

和歌山市立有吉佐和子記念館
073-488-9880
9:00〜17:00
和歌山市伝法橋南ノ丁9
水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
和歌山市立有吉佐和子記念館
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純喫茶リエール有吉佐和子邸
和歌山市立有吉佐和子記念館1F
073-488-9880
10:00~16:00(L.O.15:30)
水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
純喫茶リエール有吉佐和子邸

ラストシーンの舞台、和歌山城へ

主人公の孫・華子が再建されたばかりの天守閣に登る、『紀ノ川』のラストシーン。祖母・花と母・文緒の人生に思いを馳せながら、紀の川が流れる街を静かに見つめます。人生の終わりと始まりを感じさせるその眼差しは、作中でも特に印象的な場面です。作品を読んだ人にとっては、まさに一度は訪れてみたい場所。本を読んだ後、華子と同じように天守閣に立つと、どのような風景が広がるのか自身の目で確かめてみてください。


和歌山市ゆかりの人物に関する資料を紹介している「わかやま歴史館」。有吉佐和子コーナーの見どころの一つは、茶道具や青磁など有吉のコレクション。定期的に展示品が入れ替わるため、訪れるたびに新しい視点で楽しめます。和歌山城内にあるので、天守閣を訪れる前に立ち寄るのもおすすめ。有吉や作品への理解を深め、より深く和歌山の風景を心に刻みましょう。

和歌山城
和歌山市一番丁3 (和歌山城天守閣)
073-422-8979
9:00〜17:30(入場は17:00まで)
年末年始
和歌山城
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わかやま歴史館
和歌山城公園内
073-435-1044(和歌山城整備企画課)
9:00~17:30(入場は17:00まで)
年末年始
わかやま歴史館
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映画ロケ地で有吉作品の世界観に浸る

和歌山市郊外にある「桃源の郷 宮折 耕心院」は、かつて紀州の大地主として知られた津田家の旧邸宅。敷地内には、木造の主屋をはじめ、長屋門や蔵、四季を映す庭園が残されており、撮影に使われた家屋や風景は今も当時のまま残っています。映画の中でも印象的な花の嫁入りシーンが撮影された、重厚な長屋門。撮影後に現地を訪れた花役の女優・司葉子さんが、物語の中で亡くなった夫を思い、扉に額をそっと寄せたというエピソードを聞くこともできました。役として、ひとりの女性として、作品に深く向き合った姿が静かに胸に残ります。

桃源の郷宮折 耕心院(旧津田住宅)
紀の川市桃山町調月331
桃源の郷宮折 耕心院(旧津田住宅)

Column

有吉佐和子 1931-1984

和歌山県和歌山市出身。父の赴任でジャワ(現インドネシア)に移り、第二次世界大戦中に帰国。1956年、初の長編小説『地唄』が芥川賞候補に選出され、注目を集めました。代表作には、故郷・紀州を舞台にした三部作『紀ノ川』『有田川』『日高川』があり、多数の作品が映像化されるなど、多くの読者に親しまれています。近年は復刊が相次ぎ、中でも『青い壺』は令和の時代に入りベストセラーとなるなど、あらためてその魅力が注目されています。

有吉佐和子 1931-1984

中上健次の文学を育んだ故郷

作家・中上健次にとって、故郷・新宮は文学の原点でした。芥川賞を受賞した『岬』をはじめとする「紀州サーガ」では、自身の出身地をモデルにした「路地」という虚構空間を舞台に据え、普遍的な人間の営みを描き出しています。また強烈な人間的魅力と求心力で同級生や著名人を巻き込み、「熊野大学」を設立。その活動の中でも、中上は「先生」と呼ばれることを嫌い、誰に対しても対等に接していたといいます。その姿勢からも、肩書きや立場を超えて、共に学ぶことへの情熱が伝わってきます。

新宮市立図書館 中上健次資料収集室
新宮市下本町2-2-1-4階
0735-22-2284
9:00~18:00
月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始※月1回館内整理日、年1回特別整理期間
新宮市立図書館 中上健次資料収集室
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Column

「熊野大学」とは?

「試験もない、校舎もない、卒業は死ぬとき」を合言葉に、中上健次が構想した学びの場「熊野大学」。中上の生まれ故郷である新宮市を拠点に、自らが構想した“熊野学”を広めようと1990年に設立しました。中心となったのは、地元の同級生たちによる「隈ノ會(くまのかい)」。講師は中上本人をはじめ、瀬戸内寂聴や石原慎太郎など、各界の文化人が名を連ねました。講義の後は、参加者同士が夜通し語り合うのも恒例。そこには、のちに作家や評論家として羽ばたく若者の姿もありました。中上の死後も、遺志を継ぐ有志たちによって活動は継続しており、毎年の夏期セミナーには、浅田彰氏や柄谷行人氏など、多彩なゲストが集い、今も“開かれた文学”の火を灯し続けています。


「熊野大学」とは?

物語にも登場する、にぎわいの場

『鳳仙花』『千年の愉楽』『奇蹟』など中上の小説には、かつて新宮に存在したダンスホールの情景がたびたび描かれています。その舞台と重なるのが、「丹鶴ダンス教室」。当時の熱気や音楽、笑い声などの細やかな描写から、戦後の庶民文化として楽しまれていた日常のきらめきが伝わってきます。2025年現在はカメラスタジオとして使用されていますが、明治時代のレトロな外観はそのまま。館内の随所にも往時の面影が残り、雰囲気のある建築はフォトスポットとしても人気です。

旧丹鶴ダンス教室 (丹鶴スタジオ)
新宮市丹鶴2-5-22
旧丹鶴ダンス教室 (丹鶴スタジオ)

名作を生んだ、大正モダンの邸宅

中上と同じく新宮市名誉市民であり、「文化学院」の創始者でもある西村伊作が設計した「旧チャップマン邸」。アメリカの宣教師チャップマンの居宅として、大正15年(1926年)に建築されました。昭和時代には増改築され、旅館「有萬」として活用されました。人気作家となってからも新宮の喫茶店で原稿を書くことが多かった中上は、特に締め切りが迫ると「有萬」に“缶詰”状態になって執筆したといいます。

西村伊作が手がけた住宅で残っているものは、県内では国の重要文化財・旧西村家住宅と旧チャップマン邸しかなく、大正時代の建築としては珍しい工夫が凝らされた旧チャップマン邸は、令和2年(2020年)に国の登録有形文化財に指定されました。現在はワーケーション施設としても利用でき、中上作品が創作された気配を感じながら、大正モダンの香りが漂う空間で、ゆったりと過ごしてみてください。

旧チャップマン邸
新宮市丹鶴1-3-2
0735-23-2311 
9:00~17:00
月曜日 (祝日の場合は翌平日)、年末年始
旧チャップマン邸
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旧西村家住宅(西村伊作記念館)
新宮市丹鶴1-2-14
0735-22-6570
9:00~17:00
日曜日、祝日の翌日、年末年始
旧西村家住宅(西村伊作記念館)
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中上健次も魅了された、神の火祭り

熊野速玉大社のご神体・ゴトビキ岩を祀る「神倉神社」。神々が最初に降り立ったとされ、熊野信仰発祥の地ともいわれています。中上健次の作品にもたびたび登場し、彼自身も帰郷するたびにこの場所を訪れていました。著書『火まつり』のモデルとなったのが、神倉神社で毎年2月6日に行われる「御燈祭り」。男たちが松明を手に538段の石段を一気に駆け降りる神聖な神事です。中上はこの行事を愛し、自らも“上り子”として毎年のように参加しました。映画化された際には脚本を担当し、撮影時にはボランティア集めにも自ら奔走したというエピソードが残されています。祭りへの深い敬意と情熱。物語の舞台であると同時に、中上の魂が共鳴した場所です。

神倉神社
新宮市神倉1-13-8
0735-22-2533 (熊野速玉大社)
御燈祭り毎年2月6日
神倉神社
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中上健次 1946-1992

和歌山県新宮市出身。1976年、『岬』で戦後生まれとして初めて芥川賞を受賞しました。代表作は『枯木灘』『千年の愉楽』『奇蹟』など。熊野を舞台に、自らの出自や「路地」に暮らす人々の姿を通して、人間の本質に迫る作品を数多く執筆しています。晩年は「熊野大学」の創設に尽力し、複数の連載を抱える多忙な日々の中でも新宮へ足を運び、月例の講義を自ら開催。地域に深く根ざした活動は、多くの人々に影響を与えました。また、異分野の文化人やアーティストとの交流にも積極的で、旺盛な好奇心と行動力に満ちた作家として知られています。

中上健次 1946-1992

小説「紀ノ川」を辿る旅の動画はこちら

ユーチューバー「ななな」さんが、有吉佐和子著書「紀ノ川」の舞台や映画のロケ地を辿る文学旅

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