丹生都比売神社の神職解説!空海はなぜ高野山の地を選んだのか?
和歌山県伊都郡かつらぎ町。高野山の麓のこの場所に、創建1700年もの歴史を持つ「丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)」があります。弘法大師・空海が開いた高野山の守り神として深い由緒を持つ神社、世界遺産・紀伊山地の霊場と参詣道に登録された聖地を、神職の藤野さんの案内とともに紐解きます。

ナビゲーター:神職の藤野(ふじの)さん プロフィール
丹生都比売神社 神職の藤野さん。「弘法大師・空海が真言密教の根本道場を開いた際に、この神社のご祭神である丹生都比売大神から神領であった高野山を授かったことからこの神社は高野山の総鎮守とされています。」
この神社の歴史や伝承から、絶景スポットまでご案内します。
1.本殿に祀る神様と現在も息づく神仏習合
丹生都比売神社のご本殿。本殿は、ほぼ同じ大きさ、同じ形で横に四殿並んでいます。御殿が4つあるということは神様が四柱いらっしゃることになります。祈りの中心となる二柱の神様をご案内は第一殿の「丹生都比売大神」、第二殿の「高野御子大神」です。
丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)は、水銀鉱石である辰砂(しんしゃ)の女神です。この辰砂からは、丹と言われる赤い色を作ることができます。古くから丹は神聖なもので、あらゆる魔を祓う色とされてきました。そのことから、その力であらゆる災厄を祓う神として信仰を集めてきました。真田幸村公も信仰したことが記録に残っています。
丹生都比売大神の子にあたる高野御子大神(たかのみこのおおかみ)。この神様は、弘法大師・空海を高野山まで導いたことから『みちひらきの神』とも言われています。
高野山との関わりが深いこの神社は、神仏習合の地とも知られ、明治時代まで、境内には立派な多宝塔や北条政子の建立した御影堂がありました。平安時代の終わり、高野山が落雷で焼けた際には、30年から40年ほどこの場所が高野山の仮本部になりました。
神社は仏教だけでなく、修験道の霊地でもあり、大峯修験、葛城修験といった山伏の方が、この神社を霊地として大変重視しました。横一列に並ぶ修験道関係の碑が、今も境内に残ります。
2.弘法大師・空海を高野山へと導いた「白と黒の犬」
みちびきのご神犬 : 弘法大師・空海が高野山を開山する時に、高野御子大神が白と黒の犬を連れた狩人の姿に化身して現れて高野山まで導いたと言われています。そのことから丹生都比売神社では、白黒二匹の犬が神の使いとされています。
また、「織田信長が高野山を攻めた時には、このご神犬が現れて信長軍を追い払った。」「高野山麓や大阪の河内長野市あたりで、このご神犬が悪い魔物を退治した。」という伝説も残っているそう。
白と黒の紀州犬の親子「すずひめと大輝」が奉納されて、現代のご神犬として活躍をしています。
すずひめ号は、毎月16日の月次祭に、10時から11時半、13時から14時半の2回公開。
お休みする場合がありますので、最新情報は丹生都比売神社公式サイトでチェックしてください。
3.朱塗りの美しい輪橋と人魚伝説が伝わる「鏡池」
丹生都比売神社の鳥居をくぐってすぐ、神域の入り口にかかる輪橋(太鼓橋) 。「伝承によれば、豊臣秀吉の側室の淀殿が奉納したと言われてます。現在も石の土台は淀殿が奉納したものが今も使われています。」
輪橋の下に広がる鏡池にも、面白い伝説があります。「昔、人魚を食べて不老不死になったという八尾比丘尼(やおびくに)。この尼さんがお参りに来た時に、池に映る自分の姿を見て、年を経てもいつまでも美少女のままのご自分の姿を嘆いた。そして鏡を池に沈めた、という伝説があります」と話す藤野さん。実は、江戸時代に池をさらった時に、この鏡が出てきたとのことで、大変大騒ぎになったという話が記録されています。この鏡は御神宝となり、現在は和歌山県立博物館に預けられています。
丹生都比売神社は、撮影スポットとしても人気で、鏡池から輪橋を望む場所には、多くのカメラマンが訪れます。丹生都比売神社や神社がある天野は、大変自然が豊かで、四季折々に様々な美しさを見せてくれます。
境内を流れる小川「禊川」にかかる小さな橋「禊橋」。この橋を渡ることで、清浄な水の流れに体を浸して体を清める神道の作法「禊」を受けたのと同じ効果があると言います。「実はこの禊橋、擬宝珠(ぎぼし 橋の柱の上の飾り)に仕掛けがあります。この中に、丹生都比売大神のお力の源で、祓いの力を持つ水銀鉱石の辰砂を収めてあります。つまり禊橋を渡ることで、ご神殿に進む前に体を清めることができる、お祓いの効果がある場所です。」
丹生都比売神社参拝に併せて立ち寄りたいおすすめの周辺スポット
丹生都比売神社を参拝した後は、周辺の世界遺産と豊かな自然を巡りましょう。
丹生都比売神社の裏手の山には、高野山 壇上伽藍まで続く参詣道「町石道」が通ります。弘法大師が開いたと言われ、鎌倉時代に建てられた町石と呼ばれる石の柱が109メートル毎に並び、世界遺産にも登録された、高野山参詣の表参道です。
町石道に建つ「二ツ鳥居」は丹生都比売神社の鳥居です。高野詣での正式な習わしは、「この二ツ鳥居から一旦天野に降りてきて、丹生都比売神社を参拝してお祓いを受け、そして町石道に戻って高野山へ進む」とされていました。
三沢明神は、奥之沢明神・中之沢明神・柳沢明神の三社の総称で、いずれも丹生の神を祀る由緒ある明神です。これら三社は、丹生都比売神社の御祭神・丹生都比売大神の創建に関わる伝承を持ち、古くから聖地として崇敬されてきました。山深い沢に鎮座するその姿は、自然信仰の原風景を今に伝え、神がこの地に顕現した気配を静かに物語っています。丹生の神の広がりと高野の歴史を語る上で、欠かすことのできない存在です。
山王院は、高野山壇上伽藍の一角にある神社で、「御社(みやしろ)」とも呼ばれます。ここには高野山を守護する神々が祀られ、その中心に丹生都比売大神と高野御子大神が祀られています。今もなお高野山の僧侶たちによって大切に守られ、信仰されています。























